とぼけた笑いと苦さ-Psychological Methods To Sell Should Be Destroyed (2008) by Robert Freeman Wexler
“Psychological Methods To Sell Should Be Destroyed” (Spilt milk press, 2008) by Robert Freeman Wexler
とぼけた味わいの幻想文学集。本書はチャップブック――てのひら大のパンフレットのような同人誌だ。
著者ロバート・フリーマン・ウェクスラーの小説は、2003年ごろから世に出るようになった。本書は一応、初の短篇集ということになるだろう。ケリー・リンク*1が出版している小雑誌Lady Churchill’s Rosebud Wristlet、ジェイ・レイクらが編集するファンタスティック同人誌Polyphonyなどに掲載された6篇が収録されている。SF情報誌ローカスが選ぶ2009年のお勧め本リストに“The Painting and the City”(ファンタジー長篇部門)が入り、徐々に注目されてきている作家のようだ。
では、ちょこちょこ引用しつつ紹介しよう。ネタバレ注意。
- Suspension
わたしは腕を大きく広げ、背中からひっくりかえった。空から見下ろせば、雪上の四本の腕の痕跡は巨大なトンボに見えただろう。
4本腕と160キロを超す巨体の持ち主ブラウナーは、凍った歩道で転倒してひっくりかえり、雪の中に埋まって起き上がれなくなる。助けようとしてくれる人はおらず、彼は雪中でひとり思考をめぐらす。はじめて声をかけてくれた中国人の老女の助けもつっぱね、なおも雪の中に横たわって過ごす。だが、老女は仲間を呼び、彼を起き上がらせてくれたのだった。
一作目で察せられるとおり、ウェクスラーの書く「ふしぎ」はいたってささやか。ブラウナーが4本腕であるいわれも語られないし、それ以外にファンタジックなことは何ひとつない話である。言葉で魅力を紹介するのが難しいタイプの作家だ。一文ずつ読まない限り、いったい彼の作品のなにが素敵であるかはわからないだろう。独白を読んでいくにつれ、意固地になっていた語り手の心が中国人の家族によって溶かされていく過程がわかる。まさしくハートウォーミングな小品だ。
- Tales of the Golden Legend
これはもっと露骨に変な話。
黄金。それはこんがり焼けたパンの色。「プロローグ:パン」では、イタリアのパンを売る店の日常のワンシーンが描かれる。しかし続く「パンと対話する」は、ある日パンと会話が可能になった男の独白だ。
「わたしを完食してくれないの?」パンの質問は音楽のような声音であった。パンは集合的有機体であるからして、男女混声の合唱のようにしゃべるのだ。
パンは饒舌に、自分たち一族(パンだ!)の魅力を語りかける。世界中にちらばる同族の意識を通し、実にさまざまなことを知っていると自慢もする。いわく「パンは各々、イースト菌を通じて相互に連絡しあえるからね」 語り手の男はおのれの正気をうたがう。そりゃそうだろう。
「パン皮の音」はパン自身が自分の生誕を講釈し、人間に食べられるところを実況しながら終わる物語。そして「エピローグ:パンの領域」は再び舞台を冒頭のパン屋に移す。しかし客と店員との応酬だけが響いていたはずの店は、実はパンたちのおしゃべりに満たされていたことが明かされる。とにかくパンたちが可愛らしい話だが、さりげなく世界の見かたの変化を提示しているあたりに作家としての技巧を感じた。
- Valley of the Falling Clouds
民話的・牧歌的なムードのロマンス。しかし、甘い雰囲気は苦い結末にとってかわられる。
- The Green Wall
ディーラーとして画廊に務める主人公の男エリクソンは、アパートの向かいの建物の壁に、いつのころからかジャングルの風景が映し出されるようになったのに気づく。生活は退屈で、思うようにいかない。彼が眼前に広がる緑をながめて過ごす時間はすこしずつ増えていく。あの景色は本物で、到達できるのではないか――ついに思い立ったエリクソンは登山用具などを準備し、アパートの窓から出発する。しかし近所の女性にのぞきに侵入した変態と思われ、傘で殴られた彼は、どこまでも落ちていく。気絶する前か死ぬ間際の、一瞬の幻想ともつかぬ美しい夢をもって物語は終わる。
これも夢が覚めるむなしさがテーマと言えるだろう。それにしてもあんまりな失墜ではないか。
ふしぎで、ふわふわしていて、ときどき苦味のある話が多い。モノローグの文体と表現の多彩さが魅力的な作家である。地味だが、噛めば噛むほど味わいが出てくる固焼きパンみたいな作風なのだ。時にはあまりにも漠然としすぎていて、ピンとこない作品もあるけどね。
つづき:2010/6/7
- Indifference
妻が他の男と逃げた。2、3ヶ月も前のことだ。以来、中年男ブラウンはindifference(無関心、無頓着)な状態に陥り、眠れなくなり、水以外のものを受けつけなくなった。摂取するのは「午前の分の水」と「午後の分の水」だけ。外出もしなくなり、アパートの非常階段でぼうっとして過ごすようになった。そんな彼の自宅の居間に、毎週金曜日、男の生首が出現するようになる。
最初は首を避けて暮らしていたブラウンが、首に触ってみようとしたり、目の前に料理を置いてみたり、女の首のほうがよかったと思ったり、徐々にindifferenceではなくなっていく。ある意味典型的な喪失と再生の物語である。勇気を出して前の奥さんに無言電話をかけてみて「アンタだってわかってるんだから。何もしゃべらないなら電話しないでよ」と言われ、決定的な喪失感にワアワア泣く。新しい生活に乗り出すため、ブラウンが今いる家から離れるようと決意するところで物語は終わる。首がなんだったのかはわからないまま。
- The Sidewalk Factory: A Municipal Romance
市的ロマンス(A Municipal Romance)。私的でも詩的でもありません。近代的な都市、どんどん発明される新製品、やる気に満ち溢れた女市長。語り手の男は、フェルトの帽子を圧縮して歩道の素材に変える工場で技術者をしていた。しかし改革によって次々に制定される法律は、夜間外出をとりしまり、自衛のためといって軍事協力をせまり、徐々に市民をしばりあげていく。帽子を圧縮した素材も、軽量の防刃・防弾素材として軍事転用される。女船乗りミラと出会い、恋に落ちた語り手の上にも、市当局の手がのびる。
オーウェル『1984』などを思わせるディストピアもの。最後のほうは恋人を守っての立ち回りなどもあり、作者にしては珍しくわかりやすい、直球のエンターテイメントに仕上がっている。
さて、長篇にも手をつけるかどうかは悩みどころ。