タイポグラフィー+ファンタジイ- Light Boxes (2009) by Shane Jones

“Light Boxes”(Penguin Books, 2010*1) by Shane Jones
 シェーン・ジョーンズは1980年生まれのアメリカ人。以前紹介したBlake Butlerと関わりがある作家で、巻末の謝辞にもバトラーの名前を挙げている。もともと小出版社で600部刷っただけの処女長篇が、スパイク・ジョーンズがプロデュースについて*2映画化することになり、版権がペンギンに移った……という経緯だそうだ。150ページ弱と短い。残念ながら、肌に合わなかった。ダンサー・イン・ザ・ダーク』的な『オズの魔法使い』というかなんというか。ややネタバレするのでご注意を。
 ペンギン版の表紙は本当にかわいいので拡大して見てほしい。鳥仮面紳士。

Light Boxes

Light Boxes

 二月も200日めを超えようとしていた。極寒と雪はいつまでも街から去らない。空の上に暮らす絶対者「二月」のしわざである。ある日「二月」は空を飛ぶすべてのものを禁止するおふれを出した。「二月」の僧侶たちは気球を打ち壊し、鳥や飛行機の載ったページを書籍から切り取る。おふれに反抗した6人の気球作りたちは鳥の仮面をつけ、レジスタンス活動を始める。教授と呼ばれる科学者の力を借りて、冬を追い出す作戦を実行するのだ。
 街に住む男サッデウス・ロウは気球作りたちに仲間になるよう誘いを受ける。その矢先、思いのままに街を操る「二月」によって彼の愛娘ビアンカは神隠しに遭う。妻セラアとサッデウスの悲しみと絶望は深く、二人は「二月」との戦いに身を投じる。具体的な活動は、薄着で外に繰り出してまるで春が来たかのように振舞ってみたり、地道に雪にお湯をかけてみたり
 ところが「二月」の力は圧倒的で、レジスタンスたちは次々に斃れていく。いっぽうの「二月」はサッデウスに刺殺される予知夢に悩まされていた。

 というおとぎ話じみた筋立てで、いろいろ無茶苦茶。ビアンカは川で死んでいるところを発見されるのだが、のちに幽霊(?)として戻ってくる。そして本人は「死体が偽者で私は生きているのに、誰も信じてくれない」と主張する。さらにやや唐突に現れる「蜂蜜と煙の香りの少女」というキャラクターがややこしさに拍車をかける。彼女の特徴はビアンカと共通する。おそらく「二月」は肉体を複製することができるように、人間の精神をも複製することが可能なのだろう。ビアンカの魂、意識の複製が一人歩きしているのが「蜂蜜と煙の香りの少女」という存在ではないか。
 どのへんが個人的に苦手かというと:
 まず視点人物を1、2ページごとにころころと変える書き方。ページのトップにその時の視点人物の名が大きく書かれている。特にこの手法が物語に効果的に作用することはない。マンガか、映像のための原案を読まされているような気になった。頻繁に場面が変わりすぎて、あまり小説という感じがしないのである。
 説明の少なさ。もちろん何もかもわかりやすく書く必要はないのだが、読者が想像するヒントすらない部分が目につく。一番大きな瑕疵は「蜂蜜と煙の香りの少女」の考えていることが全然わからないところ。彼女の「二月」への愛と憎しみが物語を、街を大きく変化させていくのだけれど、愛するに/憎むに至った過程がまったく語られないのだ。そのへんを推察できる要素がないと読んでいるほうは置いてきぼりである。「愛してる」「憎んでる」とキャラクターに喋らせただけで終わりって、そりゃないよ。
 結末では「6月」「7月」と書かれた二つの太陽が、輝かしい夏をもたらして終わる。そのままにしておいたら今度は暑すぎて困るのでは。なぜ四季の巡りも元通りにしないのか。冬は悪、夏は善で人間への恵み、みたいな割り切りはあまりにも単純ではないか。なんだか色々と詰めが甘い小説である。ベタから逸脱するところがないのと、細部への行き届かなさがどうにも気になる。作中でリチャード・ブローティガンの名が出てくるがしかし、ブローティガンや春樹のファンタジックな作品と比べると雲泥の差があるのだ。

 良かったところ:
 「二月」は紙片に書くことによって、思いのままに現実を操る。「蜂蜜と煙の香りの少女」もなぜか彼の能力を使うことができて*3、クライマックスでは「二月」がサッデウスに振りかかる死を何パターンも殴り書き、バッドエンディングをいくつも用意する。(「熊に襲われて死ぬ」と書けば、サッデウスが隠れているクローゼットの中から熊の声が聞こえてくる。) 対する「蜂蜜と煙の香りの少女」はハッピーエンディングを次々並べあげていく。メタフィクション的な戦いが楽しい。
 ちなみに彼女は「二月」にとっても幸せな大団円を作り上げようとする。ところが「二月」は予知通りサッデウスに倒される。このへんも神話の時代からのベタ、運命から逃れられないという展開だ。裏表紙にある、作家Jedediah Berryの評は「(前略)シェーン・ジョーンズは、フレッシュで驚嘆に値する一方、古い物語に感じる懐かしさと同種の親しみを与えてくれるおとぎ話を織り上げた」である。確かに、はなからもっとベタなものだと思って読めば落胆もしなかったかもしれない。挿絵を描いているKen Garudunoの画風もどこか懐かしい感じ*4。絵になるシーンがいくつもあるので、実際に映画が完成すれば観てみたい。

 かなりむごたらしい死にざまが何回か出てくるので、悲惨なものが苦手な人には向かない。あと表紙の鳥仮面たちが全然活躍しなくて残念だった。色違いの鳥仮面6人衆+博士の組み合わせに、戦隊ものの特撮のような展開を期待したのだが。ということで、今回の本はあまりお勧めしない

*1:初出はGenius Press, 2009

*2:つまり監督は別の人である。

*3:彼の被造物=分身であるから?

*4:http://www.kengarduno.com/home.html