メキシコから来た異色クライム・フィクション - The Black Minutes (2010) by Martin Solares(1)

舞台はメキシコの中規模都市である。ジャーナリスト殺人事件から幕を開ける、息もつかせぬ、驚嘆すべき処女長篇だ。主人公の捜査官、通称エル・マセトンは街が抱える暗い秘密へ急速に引きずりこまれていく。秘密、それは過去の惨劇。未解決に終わった連続少女殺人事件であった。これぞパルプファンタスマゴリアラテンアメリカ文学の極致。警察小説という体裁ではあるが、私が今年読んだ中では比肩するものがない文学的傑作だ。ソラレスがラテンアメリカ文学へ与えた業績は、エドゥアルド・ラーゴがイベリア文学史に記念碑的長篇Llamame Brooklynを残した意義に等しいだろう。『黒い時』は、それほどにいい。
ジュノ・ディアス  The Times Literary Supplement Books of the Year 2008

 『オスカー・ワオの短く凄まじい人生(仮)』が新潮クレスト・ブックスからなかなか出ない(2010年11月現在)ジュノ・ディアスは、同書でピューリッツアー賞を獲得し、さらに名声を高めることとなった。彼が、前述のような惜しみない賛辞を贈ったメキシコ産ミステリが、このLos Minutos Negrosである。
 『黒い時(仮)』はメキシコ出身のマルティン・ソラレス(1970-)が初めて世に出した長篇だ。7年間かけてじっくりと完成させたというこの小説は、2006年に大手モンダドーリから出版された。翌年、ロムロ・ガジェゴス国際小説賞*1の最終候補4作に残っている。すでに仏語・独語に翻訳されており、今年ようやく英訳が出版されたところだ。処女長篇にしては、異例といっていい脚光の浴び方ではないだろうか。
(以下は余談なので、もう一歩深く読みたい方以外は、どうぞ読み飛ばしてください)


 さて中米文学を語る上で欠かせないのは、おそらく65年以降のメキシコ生まれ、ホルヘ・ボルピやイグナシオ・パディージャ等を中心とした《クラック・ムーヴメント》*2の作家たちである。彼らは「ラテンアメリカ文学ブーム後のラテンアメリカ文学」が型にはまるのを避けようと奮闘し、90年代半ばには宣言文*3を発表したらしい。断定的に語れないのは、ひとえに私がムーヴメントから生まれた実作を読んでいないからだ。『ユリイカ』や『群像』などでチラチラと紹介されながら、クラック・ムーヴメントの作家たちは今もって日本でほとんど書籍化されていない。それどころか英訳の数もさほど多くない。一過性のラテンアメリカブーム去りし後、スペイン語読者以外の目に触れる機会がないまま埋もれている作品は、どれだけ存在するのだろうか。
 ソラレスは自作がホルヘ・ボルピ選のアンソロジーに収録された縁からか、ボルピのインタビューを行なっている*4。そもそもソラレスは2000年代、フランスのソルボンヌ大学で学び、スペイン語文学(イベリアおよびラテンアメリカ)の博士号を取得した人だ。なんでも90年代メキシコのメロドラマ、いわゆるTelenovelaで論文を書いたらしい*5。インタビューを眺めれば、娯楽小説にも文学にも深い愛情を持った人物であることがうかがえる。名が挙がる作家はハイスミスシムノン、ダール。チャンドラー、ハメット、マンケル。そしてベルナルド・アチャーガにボフミル・フラバルだ。
 次の記事から始まる私のレビューは、当方の知識不足ゆえ、メキシコ文学の系譜やメキシコ社会の現況を踏まえて書かれてはいない。あらかじめご了承ください。

*1:作家でもあったベネズエラの元大統領の名を冠する。隔年開催で、秀でたスペイン語の小説に与えられる。

*2:英語での呼び名を採用。原語は“la generacion del crack”

*3:英訳を掲載していたサイトが消滅し、いまやInternet Archiveでしか読めない有様だ。内容は興味深く、当時の熱気が伝わってくる。

*4:http://bombsite.com/issues/86/articles/2623

*5:http://www.ucm.es/info/especulo/numero36/marsolar.html