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The Black Minutes (2010) by Martin Solares

 いよいよ内容の紹介に移ろう。
 巻頭には、親切なことに登場人物一覧表がついている。ただし人数は50を軽く超える。おまけに作中ではひとりのキャラクターが名前・あだ名・名字のいずれかで呼称されるため、しばらく読むのを中断していると、その組み合わせを忘れて途方にくれることになる。しかも表中の全員が、まっとうに本文に出てくるとは限らない。伝聞のみで登場する存在もいるし、<ややネタバレ>フーダニット小説ではないので、犯人がリストに書かれていなくてはいけないという本格のお約束なんぞ無視されている</ネタバレ>。こちとら大ざっぱな人間なので、とくに記憶しようと努めもしなかった。そういえばガルシア=マルケス百年の孤独』とか、ボラーニョ『野生の探偵たち』に対しても、登場人物が多くて把握がむずかしいという声をときどき聞く。個人的には、そんなの覚えられる範囲だけ適当に覚えておけばいいと考えている。気楽にいこうよ。
 さて、本書には警察署の人間だけで20人ほどが登場し、その多くにニックネームがついている。たとえば第一部と第三部の視点人物であるレーモン・カブレラは、通称「エル・マセトン」――花瓶とか、たらいを意味するあだ名を持つ。理由はわからない。あるいは私が読み飛ばしたのかもしれないが。中東系の「ベドウィン」刑事やら、いつも放浪していて署で見かけることがほとんどない「魔術師」刑事といった面々は、往年の日本の刑事ドラマを思わせる*1。ジーパン刑事にマカロニ刑事みたいなものだ。この本は、彼ら警官たちの捜査活動を中心として成り立っている。


《ストーリー》
 主人公カブレラは、メキシコ・タマウリパス州の架空の街、パラクアンの警察署に務めている。妻に去られ、最近とみに出てきた腹を少し気にしている、あまりぱっとしない男である。パラクアンは、著者ソラレスの出身地タンピコの近郊の港湾都市という設定だ。植民地時代から街の運が少し上を向いたかと思えば、やはり駄目だったと判明するパターンが繰り返されてばかり。カブレラ同様、いまひとつ活気や希望に欠ける街なのだ。
 第一部は、ジャーナリストの死にまつわる謎をカブレラが地道に捜査するパートだ。全体の四分の一ほどの長さがある。時にいけすかない同僚や上司に悩まされ、自分の身にも危険が迫ってくるのを感じとりながら、彼は非番の間にも独自に調査を進め、過去の事件との繋がりを洗い出す。はっきり言って、ここまではきわめて地味な警察小説であり、あまり胸躍ることはない。しかし第一部は長い助走にすぎないのだ!
 第二部で本書はいきなり、現代から1970年代へ飛ぶ。主人公もカブレラから、孤独な刑事ヴィンセンテ・ランヘルに交代する。ここからぐっと物語は深みを増し、テンポも上がる。
 ランヘルは昔、バンドのギタリストだったが、キーボードを担当する恋人が他のメンバーと密通していたことを知り、脱退して音楽の道自体をあきらめる。警部補の伯父に誘われ、手ほどきを受けて彼は警官として新たな生活を始めた。ところが伯父が亡くなると、縁故採用のランヘルは実際に優秀であるにも関わらず署内で疎まれ、孤立してしまう。かくして、同僚から助けを得られぬ状況のまま、彼は都市をゆるがす連続殺人鬼の正体を暴かねばならなくなる。
 第二部にはランヘルが過去を回想する場面が多く、本筋の合間に読者は、センチメンタルすぎない、ほろ苦い味わいを愉しめる。しかも、このパートで出てくるのはクセのある人物ばかり。共産主義者ゲバラ大好きなジャーナリスト(おまけにいわゆるツンデレ)は、つかの間ながらヒロイン役を務める。実在の人物であるTraven Torsvan(B. Traven)は国を追われ、最愛の女性と別れた流転の半生を語り聞かせてくれる。国際的な名声を得ている老犯罪学者、メキシコのシャーロック・ホームズことAlfonso Quiroz Cuaronが招きに応じ、颯爽と登場する。こちらも実在の人物で、かつてトロツキー殺しの下手人をつきとめたこともある御仁。以前、ランヘルの伯父と共に事件を解決し、友情を育んでいた設定になっている。さらにアルフレッド・ヒッチコックまでもがちらりと姿を見せる。また、ボンボンのヒッピー少年が、ジャーナリストとして潜入ルポをすることを決意し、勝手に捜査の場に闖入してきたりもする(そしてランヘルが彼のお守りを押しつけられる)
 強烈なキャラクターたちが次々と舞台に立ち、そして次々と退場する。その過程で、少しずつ連続殺人犯の素性をつきとめるために必要な材料が集まっていくのだ。

 犯人当てが実質不可能であり、どんでん返しがあるわけでもないので、狭義のミステリとしては楽しめない。だが、第二部の結末で犯人を追いつめたとき、物語はエンターテイメントの王道からいきなり脱線する。ひそやかに敵のアジトへ突入したヒーロー/探偵役がふりかざす正義は、一部の人間の都合のためにあっけなく打ち砕かれる。読者はランヘルたちを襲う非情と暴力をただ見守ることしかできない。読者だけではなく、カブレラにできるのも無力に過去のできごとを知識として受け止めるのみだ。
 ひとことで説明するなら、この小説は異様に蛇行した社会派ノワールなのである。何人もの登場人物が運命の瞬間――タイトルの《黒い時》に直面する第二部後半は、まちがいなく本書のピークだ。
 社会派ノワールと評したが、つねに「重たい」小説ではない。あちこちには他愛もないお遊びもしかけてある。遺体の発見者に作者と同名の人物がいる。既存の作家の名前をパロディ化したキャラクターが出てくる*2。たびたび、元FBI捜査官のUFO研究家に関するニュースが作中のマスメディアで報じられるのもおかしい。UFOと異星人に関するエピソードは、結局、本筋とは一切関係がない(と思われる)が、こうした物語の枝先の部分にもしっかり目を向けていると、UFO研究家が最終的に謎の失踪を遂げてしまったことがわかる。遊びつくさねば気がすまない読者向きの隠し要素といったところだろうか。
 そう、枝葉まで密度が高く、読みでがある本なのだ。作中でランヘルが聞かされる伝承もまた愉快である。
 ドイツからメキシコへ落ち延びた一家のドラ息子が、虎人間になってしばしば近隣住民を襲う。すばやすぎて常人には対抗するすべもない。だが、生贄を出さなくてはいけなくなった一家の末っ子が、ついに決死の退治を試みる。虎男の故郷の味ザウアークラウトリースリングワインでもてなし、さらに鳥の丸焼きを与えるとはたして虎男は夢中になってむさぼり食う。酔った虎は「鳥の骨ですよ」という少年の嘘を信じて、チキンに仕込んであった銀の銃弾をいくつも飲みこみ、ついには斃れるのだった。なんじゃそりゃあ! これも本当にある伝承にもとづいていたりするのだろうか。こんなシーンもある。夜、自宅内で怪しい物音を聞きつけたランヘルは、虎男の逸話を思い出し、おそるおそる確かめにいく。物音の発生源は、食べ残しを狙って入りこんでいたアライグマの一家だった。物語が緊迫していく中で一服の清涼剤のような場面だ。読者の肩の力を抜かせるための、ソラレスなりのサービスなのかもしれない。
 虎男のエピソードがどれほど深くランヘルの記憶に刻まれたというのか、この後、犯人の元へ突入する前夜に彼は、人語をしゃべるジャガーに襲われる悪夢を見る。


 『黒い時(仮)』は謎や伏線がきれいに回収される小説ではない。まったく新しい小説というわけでもない。70年代のパートの強烈な輝きには確かに引きこまれるが、一方で、第三部の感傷的な余韻の美しさも第二部あってこそだとも感じる。過去編とくらべ、現代編は色あせて見えてしまうのだ。5段階で点をつければぎりぎり4に満たないかもしれない。しかし、読むのにかかった時間だけの価値はある。まちがいなく楽しい読書体験ではあった。今はとにかく、マルティン・ソラレスという新たな書き手の登場をただ祝いたい。
 ところで、彼はおそらく、この本でみずからに「現実味のある警察小説を書く」という制限を課している。したがって作中の超常的な要素は、すべて夢か幻覚という扱いだ。しかし冒頭のごく短い『黒い時』の話*3や、不正に手を染めた小悪党がかつて私刑に処した男を目撃するシーンにおける、不安なムードはかなり好みで、今後恐怖小説やもっと幻想味の強い小説を書いてくれないものかとつい期待を抱いてしまう。

The Black Minutes

The Black Minutes

*1:実際に観たことはないんだけどね。

*2:バイアス・ウルファーだとか、コーマック・マコーミックだとか。後者は黒々とした小説の書き手、コーマック・マッカーシーにかけていると言われているが、さらにエリック・マコーマックともかけていたりはしないだろうか?

*3:もともとソラレスはある日みた悪夢と、強迫観念をきっかけに、本書の題名と『黒い時』にまつわるこの逸話を思いついたそうだ。