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Boxer, Beetle (2010) by Ned Beauman(1)梗概篇

 英国のエディター/ライター、Ned Beauman(ネッド・ボーマン)はロンドン在住の1985年生まれ。ガーディアン紙でアメコミや日本の漫画についてのコラムを書き、Dazed&Confusedではインタビュアーとして活動している。ケンブリッジ大学在学中は哲学を専攻しており、05年には同大学の在校生のみが応募できるThe Other賞(未発表の演劇脚本を対象とする)を受賞*1している。そして2010年、この長篇で小説家としての第一歩を踏み出し、いきなりガーディアン紙のファースト・ブック・アワードの候補になる(残念ながら受賞には至らなかった)
 なおファースト・ブック・アワードは、ガーディアン・フィクション・アワードが99年にいろいろと条件を改定して生まれかわったものだそうで過去にはゼイディー・スミスやジョナサン・サフラン・フォア、イーユン・リーなどに贈られた。近年ノミネートされた中にはスザンナ・クラーク『ジョナサン・ストレンジとミスター・ノレル』やライフ・ラーセン『T・S・スピヴェット君傑作集』の名もある。また、リニューアル前はマイクル・ムアコックやJ・G・バラード、ジム・クレイスアラスター・グレイなどへ与えられている。
 と、著者はこのように華々しい経歴の持ち主だが、本書は文化系ダメ男に満ちあふれている。中心人物である破滅派・魔性のボクサー、セス・ローチは荒くれダメ男だけど、残りは対人コミュニケーションが不得手だったり、何らかのマニアだったりと身に覚えのあるダメ野郎ばかりだ。本書の参考資料は、著者自身のサイトに公開されている。(http://www.nedbeauman.co.uk/bibliography.html


 特定のジャンルには収まらない本である。現代パートはコミカルなスリラーだし、クライマックスではB級ホラーか活劇かといったとんでもない出来事が起こる。また、史実を膨らませた部分もかなり多く、もしも邦訳されたらピンチョン全集よりは少ないにせよ、膨大な註を必要とするに違いない。


 本書のメインになっているのは1930年代半ばのイギリス。腕っぷしが強く、ギャングの使い走りをしていたユダヤ人の少年セス・ローチはイングランド最強の拳闘士(ボクサー)としてリングに立っていた。彼は人より足の指の数が1本少なく、かなり小柄ではあったが、奇妙な魅力を発散してたちまち熱狂的な支持を受ける。しかし残忍でひねくれた性格と酒好き、それに年若い少年を誘っては、一度寝たら痛めつけて放り出すという趣味はトレーナーの頭痛の種だった。
 ある日、試合を終えた彼の控え室に若い紳士が訪れる。貴族のフィリップ・アースキンだった。甲虫を愛し、遺伝の研究をしていた彼はファシズム優生学の魅力に傾倒しており、ローチの強さを生物学と遺伝学の立場から解き明かしたいと、彼に研究対象になるように請う。当然、ローチは手ひどくはねつけた。
 その後、ローチはギャングやユダヤ教のラビの支援を得て渡米するも、好き勝手に振舞って自国への帰還を余儀なくされた。酒びたりで身体はボロボロになり、施設に押しこめられる。他方、アースキンは別の昆虫研究者と向かったスロベニアで新種の甲虫を発見し、その鉤十字状の模様からA.Hitleri*2と命名した。アースキンは新種を英国へ持ち帰り、品種改良を試みる。
 二人は偶然ロンドンで再会し、生活に困窮したローチは今度はアースキンの申し出を受けて同居を始める。舞い上がったアースキンは実家で優生学の発表を行うため、ローチを連れてクララモアの邸宅へ赴く。アースキン家には科学に興味を持った当主の趣味で図書室にコンピュータが設置され、各部屋には電話とドライクリーニング室へ汚れた衣類を送るダストシュートが備えつけられていた。屋敷に集まった10人ほどのファシストたちはディナーの間、議論を交わす。あくる朝、アースキンの妹の許婚が近くの沼で死体になって発見される。


 ふたつめのパートは現代が舞台だ。主人公はケヴィン・ブルームという男。重度のトリメチルアミン尿症*3やその他の病気に悩まされ、人と関わりを持たない。ナチスドイツグッズコレクターで、どうやらアメコミや特撮のオタクでもある。ナチスドイツグッズ収集の同好の士が集うネットのフォーラムでの友人スチュアートが、親しい人間と呼べる唯一の存在だ(二人はゴジラVSモスラの特別版2枚組DVDは買う価値があるか、なんて会話もする)
 ケヴィンは実業家かつコレクターのグラブロックに命じられるままナチスドイツゆかりの品に関係する手伝いをし、報酬にたびたび骨董品をおすそわけしてもらっていた。ある日ケヴィンは夜中に電話で呼び出され、グラブロックと取引のある私立探偵が消息がとぎれたので様子を見てくるように言われる。はたして探偵は住まいで何者かに殺害されており、ケヴィンはそこでヒトラー直筆の書状を見つける。その後、ケヴィンの家にトゥーレ協会の刺青をした男が侵入し、銃を突きつけてきた。拘束された彼は「甲虫を見つけるのに協力しろ」とロンドンからクララモアの屋敷まで連れまわされる。70年以上前にクララモアで起こった殺人事件の真相とは。謎の殺し屋が追い求めるA.Hitleriは現存するのか。そしてケヴィンは生きて帰れるのか……?
 いかにもオタクな、ケヴィンの饒舌な語りが楽しいパートだ。

*1:http://www.societies.cam.ac.uk/marlowe/otherprize.html

*2:実際にAnophthalmus hitleriという種がいるそう。

*3:http://ja.wikipedia.org/wiki/トリメチルアミン尿症