Boxer, Beetle (2010) by Ned Beauman(2)解題篇

 本書には、一般的に言ってマスキュリンなモチーフばかり集められている。ボクサー、カブトムシ、ファシズムナチスドイツ。力強さ、すなわち格好よさという価値観が透徹しているわけだ。そしてManlinessが極まった結果、ホモセクシュアルホモソーシャルが結構目立つ話になった。 ジョーウォルトンファージング》三部作とは偶然にも、イギリス、ファシズムナチスドイツ、同性愛と比べたくなるキーワードが多い。
 モチーフの大部分はローチに集約されている。ボクサー=職業。カブトムシ=苗字はありふれたもので実在のボクシングトレーナーにも同名がいるが、同時にCockroachの略語として知られている。また、彼は自覚的なゲイとして描かれる(一度だけ、と情けを請われて女を抱くときに一生懸命男を想像するシーンがある) 粗暴さと嗜虐的なところが一種の魅力になって人をひきつける(ここでも強さへの偏執というテーマがくりかえされる)
 アースキンの同性愛的性向はもっとあいまいだ。軟弱でいじめられていたので強さに憧れたから、妹以外の女性と関わる機会がなかったから、といった理由も考えられる。彼が密かにローチに心ひかれていたのは(しかし周囲にはバレバレ)まあ間違いないが。
 現代パートのほうも、ケヴィンとネット友達スチュアートの仲の良さがすごいのだ。「他にやりとりをする人がいないから連絡先を暗記している」とか「生命の危険に見舞われた際に真っ先に助けを求める」とか。おまけにラストの仲直りシーンも微笑ましい。実際に会うことはないのに、趣味の繋がりと文字のやりとりだけでここまで強い結束を持つ姿に、同じオタクとして非常に共感するw 共通の話題がある人のほうが断然大事というのがね。

 テーマは「強さゆえの鈍感さ」「運命の理不尽への怒り」だろう。アースキンは人種・性別・階級といった面ではトップクラスであり、優位を自明のものとして疑ってもみない。自分が優れている数少ない部分にすがりついていると言ったほうがいいだろうか。そもそも屋敷に集う者には、妹とその許婚以外にリベラルな人間がいない。それからセス・ローチとケヴィンはどちらも、先天的に与えられたもの――身体の特徴だとか環境に鬱屈している。ローチが決定的にアースキンを見限り、後にあれだけ残酷な言葉をかけたのは彼が枠組みを捨てる勇気を持たなかったからだ。ローチが全然魅力的に見えないのが私が読む上で感じていたしこりだったのだけど、あらゆる束縛を嫌い、それが反抗や不品行という形で表われていたのを察せられる頃から、彼にも哀れみを持てるようになった。
 現代パートでA.Hitleriが出現するシーンは、まさに抑圧された凶暴さの噴出! あまりの展開に目を疑い、読み返してしまった。結局のところ、タイトル通りボクサーと甲虫の運命の物語なのだ。


【本書の瑕疵】
 晩餐会でのファシズム討論は、会話内容がそのまま記されているだけなのと、擁護側がそろってあまりに視野狭窄なので、やや浅く感じられる。また、フィリップ・アースキンの祖父が人工言語を自作するエピソードはやけに長すぎる。
 ミステリ部分は過去篇も現代篇も特にひねりがない。
【本書の魅力】奇人の登場多し。
 ドイツから来た詩人で、巨人と水棲ケンタウロスとこびとが闊歩する太古から始まる一族史の記憶があると言い張っている男。
 痛覚がほとんどないので、電化されたアースキン家の老朽化した電機に感電しても平気な召使い。
 生きたまま埋葬されることに不安と偏執を抱える下男。呼び鈴や空気穴つきの棺桶を用意しておくつもりで、一方的に屋敷のメイドに懸想し、彼女と一緒に入る棺おけを妄想している。
 フィリップ・アースキンの妹。不協和音を通り越して、ノイズミュージックではないかという曲を作る自称「アバンギャルド音楽家」のピアニスト。先進的な女性。
 ベッドにいるような害虫を研究し、自ら身体を提供している研究者、などなど。
 その後のフィリップ・アースキンは小さな町を作るのに尽力し、地名をローチと妹の故・許婚からもらう。現代、町の歴史家は当時のことを調べ上げて町の個性にしようと試み、飲み屋にローチ行きつけのゲイクラブから名をつけるわ、ホテルにローチが利用していた連れこみ宿の名をつけるわ、人工湖を作って許婚が死んでた沼に見立てるわ、である。ここでもまた空気の読めてないオタク活動の話になるとはなんともはやw
 なかなかお目にかかることのない言葉も出てきて、日本人が読むのは大変だが、スリリングな場面での疾走感ある語りには乗せられる。わりと薄いので読んで損はないだろう。多少の粗さは残っているものの、次の小説もぜひ読みたいと思わされた。

Boxer, Beetle

Boxer, Beetle

 3月に廉価版ペーパーバックが出る。ドイツ語版は『飛べ飛べヒトラー!』というタイトルになってるそうな。
Flieg, Hitler, flieg!: Roman

Flieg, Hitler, flieg!: Roman

 著者の次の長篇はまたもや1930年代を舞台にし、今度はベルリンにおける表現主義の話らしい。