暗い短篇実験室 - How They Were Found (2010) by Matt Bell

How They Were Found by Matt Bell (2010, Keyhole Press)

 「エドガー・アラン・ポオ的なるもの」はときに文学という名目で、ときにエンターテイメント(ホラーだとかスリラーだとか)と呼ばれ、ともかくも何らかの形で永らえている。ふだんはじっと水面下に身をひそめ、たまに首をもたげて顕現する。現在はさしずめ「頭部が見える」時期なのかもしれない。本書巻末の献辞に名のあるブライアン・エヴンソンやBlake Butlerは、今まさにジャンルの境界に身を置いて暗く恐ろしい小説を次々生んでいる。また、かつてベルの作品を掲載したConjunctions誌の編集長で、作家でもあるブラッドフォード・モローはかつてThe New Gothicというアンソロジー*1を編んだ人だ。それから本書にも収録されている“Dredge”がBest American Mystery Stories 2010に収められた縁で、献辞にはオットー・ペンズラーの名もある。ジャンルの垣根を越え、黒々とした小説を世に送り出してきた男たちにかくも注目されるとはマット・ベル、ぜひとも読まねばなるまいだろう。というわけで、読んだ。ややおすすめのものは★で示した。
 ※つまり今年も出るとすればだが、DHCの《ベスト・アメリカン・短編ミステリ》シリーズがベルの本邦初訳の場になるはずだ。

  • The Cartographer’s Girl

 夢遊病の彼女がある夜、ついに帰ってこなかった。主人公は自作の記号を使って地図を作る。それを携えて彼女を探す旅に出る。

  • The Receiving Tower

 極寒の地で受信塔を守るうち、何もかもを忘れていく兵士達。それでも任務放棄を認めず、厳しい粛正を続けていく上官。そして最後に残った女兵士は上官と相対し、自らが失っていた思い出を少しだけ知る。ノーマン・ロックの『雪男たちの国』を連想させられる一篇(そしてノーマン・ロックは本書に収録された“The Collectors”へ評を載せているのだ。類は友を呼ぶ)

  • His Last Great Gift

 19世紀末、天啓を受けて新型エンジンを作ろうとした男(実在)とその周りの人たち。

  • Her Ennead

 比喩でもって女性の妊娠出産を書いたもの。

  • Hold On To Your Vacuum

 待ちかねていた変な話。誰もが自分専用の掃除機を持っている状況設定で。主人公の少年のはネズミのしっぽみたいなコードがついた赤くてかさばる掃除機だった。掃除機は他人と交換できないし、手放せない。教師いわくゲームが始まったらしいが、主人公にはさっぱりルールがのみこめない。ひとまず間違ったら先生の持つ黒光りした凶悪なドリルで頭に穴を開けられることは身をもって知ったが……。
 ドリルで脳を貫通されても、何事もなかったかのように話が続く不条理な話。優雅なコードレスから大型業務用まで、生徒が持つ掃除機は千差万別だ。どうやら掃除機は個性であるとか、生得的な形質を表わしているらしい。終始淡々としていて盛り上がりに欠けるのがもったいない。舞城ならもっと派手に書いてくれそう。

  • Dredge

 うっかり少女の死体を見つけて持ち帰り、冷凍庫に保存した男は独自に犯人探しを始める。一応ミステリだが、彼の死体への愛着のほうがメインか。

  • Ten Scenes From A Movie Called Mercy

 タイトル通り。架空の映画の製作について。「デス博士の島その他の物語」のような話。

  • Wolf Parts

 狼と赤頭巾の話のバリエーションを延々と書きつづけた一篇。性的なメタファーである説を踏襲したり、はたまた逆手にとったり。おばあさんが狼を体内から貪り食って出てくるパターンやら、赤頭巾は戻らず、付近に赤い毛皮の子オオカミが大量発生して住民が往来に難儀するようになったりやら。物量の勝利。

  • Mantodea

 掌編。バーで女性と出会う男。他者に一呑みにされて合一化したい願望。

  • The Leftover

 アリスンとジェフというカップルが破局した。その後、アリスンのところに決して口をきかない、少し若くてところどころ今のジェフとは違うジェフがやってきて住み着いた。通称リトル・ジェフとの暮らしは、手がかかるがなかなか素敵。ところがリトル・ジェフは次第に縮み始め、やがて幼児にまで退行してしまう。アリスンが本当のジェフの様子をうかがいにいくと、彼もまた小さなアリスンと父娘のような満ち足りた生活を送っていた。
 これも変な話。無言で無力な相手のほうが好ましいなら、対等に相手と接する意味はどこに?というあたりを示唆しているのだろうか。(このころには私は、この作家が書く変な話はどうも寓話っぽくなり、しかもやすやすと寓意性が読み取れるくらい明瞭に書かれすぎているのではという疑いを抱いていた)

  • A Certain Number Of Bedrooms, A Certain Number Of Baths

 新しい家を夢想する幼い息子と一家に降りかかった悲劇。手堅く書けてはいるが、とくになんということもない。

 老いた兄弟ホーマーとラングレイが暮らす家は、長年片付けられず何十年分もの新聞やがらくたが累積し、各部屋には辛うじて人ひとりがくぐり抜けられるだけの隙間がもうけらていた。とんでもないゴミ屋敷の細々とした描写、兄弟の窮地から死に至るまでの顛末などを多角的に記していった作品。なかなか楽しい。
 ただし本書の冒頭にダニエレブスキー『紙葉の家』からの引用があるのでインスピレーション元は明らか、オリジナリティは減点せざるをえない。また、Blake Butlerのほうがこの種の汚くおぞましいものの描写は徹底していて圧倒的だ。それでも捨てがたい奇妙な吸引力のある作品だった。

  • An Index Of How Our Family Was Killed

 うっすらとクライム・フィクション。AからZまで、それぞれを頭文字にした単語から始まる文章が一行から数十行ほど箇条書きされている。辞書っぽいものから主人公の内心がつづられているものまで様々だ。読み進むにつれ、姉と主人公を遺して父母と兄がいかにして殺されたか(痴情のもつれから無差別事件まで)が把握できるようになる。
 生のはかなさ、予期・予防できない悲劇を書いている。

  • 総じて

 レアード・ハントは「獰猛、果敢、愉快。今すぐ必要な本、今すぐ必要な作家だ」と書いているが、私はもう少し熟すまで収穫を待ってもいい作家ではないかと思った。期待よりはどことなく手ごたえが軽く、やや拍子抜けの思いがしたのだ。常に作品を包む寂寥感が個性なのはわかった。きれいにまとめようとされず、もっとのびのび書かれたものを読みたい。好きなだけ細部を書きこんでほしい。この作家にしか書けないものを見たい。要するにこの短篇集で見る範囲では、まだいまいち突き抜けきれていないのだ。
 本書はTwitterでつぶやくことを条件に無料配布されていたもの。著者マット・ベルは1980年生まれ、ミシガン在住。現在は小出版社Dzanc Booksに編集者として勤務している。この本の版元であるKeyhole PressはDzanc Booksのインプリントである。

How They Were Found

How They Were Found

*1:邦訳は『幻想展覧会―ニュー・ゴシック短篇集』として二巻に分冊された。1992年福武書店刊、現在入手困難。