異貌の神々に取り巻かれた家族小説集 - Objects of Worship (2009) by Claud Lalumiere

 Objects of Worship by Claude Lalumiere (ChiZine Publications 2009)

 創立以来、ラディカルでエッジがきいた作品を次々輩出しているカナダのChiZine Publicationsから出版された一冊で、Lalumiereの処女短編集にあたる。以降はだいぶネタバレありなのでご注意ください。おすすめの作品には★をつけてみた。
 ※Lalumiereの一番目のeには本来、発音記号がついています。

  • The Object of Worship

 表題作。各家庭・店舗ごとに神が祀られているらしき世界。人々は神の住まいを綺麗に整え、ピーナツバターを塗ったトーストやら、パンケーキやらといった供物で彼らの機嫌をとって暮らしていた。同棲中のカップル、ローズとサラは、サラが母、祖母と代々受け継いできた神を世話している。都会でも神は各戸に宿り、時々夜中に集まって会議をしているようだ。
 ローズはある夜、神の夜這いを受けて子を身ごもる。はじめは幸福で満たされた彼女だが、同じアパートに引っ越してきた無神論者の女性と、彼女に感化されていくサラに次第に怒りをつのらせるようになる。
 もちろん多神教や妖精・妖怪民話を思わせる、気まぐれな神の暴虐を描いた小説として読むこともできる。しかし1.作中に男が出てこない 2.神から子を授かることに疑問が差しはさまれないことから、男が滅ぼされ、神と呼ばれる何かを世話して、その見返りに繁殖させてもらえる恐るべき世界としても読める。

  • The Ethical Treatment of Meat

 レイモンドとジョージはあまり信教に関心がなかったが、幼児を引き取ってから近所の教会へ通うことにした。しかし参列できるのはニンゲンだけ、どんな種類の動物だろうと子供づれはお断りだと言われる。そこで二人は遠いが、もっと理解のある教会に行くことにした。
 読み進むにつれ、違和感の正体が判明する。これは謎の彗星の力で、地球がゾンビに支配され、知能と意志をもつゾンビがわずかに残った人間を家畜化して食料にした後の話なのだ! ゾンビたちは自分たちのことをニンゲン(People)と呼び、旧人類のことはナマニク(Flesh)と呼んで見下している。
 レイモンドが鬱気味なのをみて、ジョージは鬱にきくと噂の子育てを試すことを決意。4歳児を養子にする。はじめは子供にレイモンドをとられた気になっていい思いがしなかったジョージも、泣き叫ぶ幼児を囲んだ一家団らんに心温まり(注:悲鳴から快感を得るのはたぶん本能です)、急進的愛護論者として人間工場へのテロを試みるまでになる。
 大変に悪趣味で、結末までひどすぎるブラック・ユーモア・ホラー。

  • Hochelaga and Sons

 小さいころ、双子の男児は父親から胸のすくような危機と冒険の話をきかされた。彼らの父は実は、カナダのご当地ヒーロー・ホチェラガ(イロコイ族由来の名)だったのだ。ホチェラガは二次大戦中にナチスドイツの捕虜となり、ありとあらゆる人体実験を受けて超人化し、以来ときどき偽の身分を手に入れて不老の生を続けていた。しかし思春期に突入するころ、双子の片割れは超能力発動の片鱗を見せてから家族を避けるようになる。彼は、人体実験の犠牲の上に生み出された能力を疎み、敬虔なユダヤ教徒として隠遁することを決めたのだった。能力が発現しなかったもう一人は結果として父を独占できるようにはなったものの、複雑な心境で暮らす。そこに敵の怪人が現れて双子の母は殺され、父は敗れ、街は破壊されていく――。
 父と子、兄弟の相克、才能を持つものと持たざるものの葛藤などをテーマにした、なかなかいい話。

  • The Sea, at Bari

 イタリアのバリを舞台に、少年時代に海で怪物に感情を食べられて以来、他人を愛せず、本能のままに関係を結ぶことしかできなくなった男の話。陽光に満ちた海辺の町の情景が美しい。不穏さが立ちこめる、ホラーらしい結末。
 本篇以降、怪物を食べて怪物になる話が多い。このこだわりは一種のフェティシズムか。

 足の悪い少年が青年から老人になるまで、世界の果てをめざして歩き続け、そこで神の軍勢に加わろうとするおとぎ話。人工の伝承。ロード・ダンセイニタニス・リーに対するトリビュートだそうだ。

  • Spiderkid

 アメコミびたりの子供が、とりわけ蜘蛛の能力者に焦がれて大学生になってもグッズの収集を続け、最愛の従姉妹に再会するまで。ほとんど一般小説、ややホラー風味。

  • Njabo

 象の神を夢見る絵描き。あまり印象に残らず。

  • A Place Where Nothing Ever Happens

 直球でコメディ。男のところに死んだ父親から電話がかかってくる。父親は現在「なにも起こらないところ」である地獄にいるといい、実はこの世に天国はなく、恐竜から家畜までが死んだら地獄行きだと明かす。それを男がガールフレンドに乳繰り合いながら語りきかせる。
 電話が頻繁でうるさいからといって、死んだ叔父さんと死んだ父親の縁をとりもち、くっつけてしまう展開には笑った。アニメ版『ゲゲゲの鬼太郎』の主題歌に「おばけにゃ学校もしけんも なんにもない」という一節があったと記憶しているが、まさにこの作者の描く死者(やゾンビ)の生はセクシュアリティの規範がなんにもないのである。

  • A Visit to the Optometrist

 なんと“The Ethical Treatment of Meat”にまさかの続篇が。レイモンドとジョージのお隣の夫妻を通して、このゾンビ世界観をさらに解き明かす一篇。結婚記念日を目前にして、夫に新しい目を贈る妻。ところがその目は邪神の僧侶が遺したもので、霊魂?はゾンビ夫の体をのっとって邪神召喚の儀式を執り行おうと目論む。が、邪神は食欲旺盛なゾンビたちにおいしくいただかれてしまうのだった。邪神側が一矢報いてゾンビ社会に悪夢という概念をもたらした可能性を示唆し、物語はしめくくられる。なお、本作の邪神は“The Darkness at the Heart of the World”と共通する。『エイリアンVSプレデター』とか『フレディVSジェイソン』を思いださせるドリームマッチ?

  • Roman Predator’s Chimeric Odyssey

 カナダの山間部には、BioWarの生き残りであるキメラを標的に、時折人狼に変身しては狩りに出る集団がいた。ところがある日、いつものキメラではなく触手を生やしたエイリアンに遭遇して。
 どこのFPSゲームだろうかという設定から、地球すべてを巻きこんだ暗黒神話へ変容していく。 

  • Destroyer of Worlds

 主人公は海の汚染を見越して、とっとと漁業権を企業に売り渡して早期退職した元漁師。妻は仕事を辞めずに銀行で働き続けており、彼は彼女との間に距離を感じている。そもそも彼はこの小さな町で企業にしっぽを振った裏切り者として白眼視を受け続けるのも、そもそも実家の生業である漁師になるのもいやだったのだ。ある朝、彼は海辺で入水する若い娘を目撃し、嵐の後にその復活を見届ける。そのシチュエーションは彼が耽溺してやまぬアメコミシリーズの、まぼろしの巻と同じだった。男は追われているという娘を海岸の洞窟で匿い、あれこれと世話をやく。
 意図的なものだろうだが全体的に古めかしい。昔のパルプ雑誌に載っていそうな奇譚。みもふたもない言い方をすれば、中年オタクが凡庸な現実に飽いて美少女と異次元に行きたくなっちゃう話。世界が滅びるとしても次に新生する世界のほうがいいかもしれないし、と内心で破滅を喜ぶあたりの感覚も非常に思春期のオタクっぽい。

  • This Is the Ice Age

 ある日カナダでは電気にまつわる何もかもが氷の像と化した。滅びかけた世界で少女は、思いを寄せる少年と街をさすらう。
 終末大災害ネタ。完全に『結晶世界』だと思ったら、実際バラードへのオマージュ作品だった。タイトルは80年代にMartha & the Muffinsの作った同名の曲から。つまり過ぎ去りしニューウェーブに捧げられた一作という塩梅で。謎の氷はアイス・ナインっぽくもあるが『猫のゆりかご』への言及はない。

  • 総じて

 ストレスなく読み進められる文章で、読後に余韻が残るものも多い。「性への自由」「現状への不満と不安」「いま従っている信仰や常識は本当に正しいのかという疑問」あたりが度々提示されるテーマとなっている。ホラー読者、とくに一昔前のモンスターやヒーローに愛着がある人には勧められるが、それ以外のジャンルのファンに勧めるほどではない。私ならば、雑誌やアンソロジーに入っていたら欠かさずに読みはするレベル。
 ジェイムズ・モロウの解説“Gods of Desire:The Erotic Theology of Claude Lalumiere”は力強く明晰でいい。

Objects of Worship

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