Understories (2012) by Tim Horvath
Understories by Tim Horvath (2012, Bellevue Literary Press)
著者の初の短篇集。創作指導の講師、カウンセラーとして務める傍ら、年2回刊行の文芸&フォトZine Camera Obscura Journalのエディターとしても活動する小説家だ。Conjunctions誌やDIAGRAM誌で小説が掲載されたこともある。
私がHorvathのことを知ったのはイベントの告知からだ。パトリック・マグラアとの共編アンソロジーTHE NEW GOTHIC*1やConjunctions誌の編集長業で知られ、作家として近年もゴシック小説短篇集や超常要素のあるミステリ長篇を上梓しているブラッドフォード・モロー。文学・ホラー・SF・幻想小説・ミステリの境界にたたずみ、近年めざましい執筆ペースを誇るブライアン・エヴンソン。その二人とともに何やら気になる書店イベント(“Laughter in the Dark: The Comedy of Noir”)で登壇した知らない新人。私、気になりました。で、これが短篇集の表紙だ。なかなか素敵でしょう。
Rebecca Makkaiは本書に「ボルヘス、カルヴィーノ、ケヴィン・ブロックマイヤーを口寄せ中。しかも成功。」とのコメントを寄せている。が、実際よんでみたところ、期待のハードルを上げすぎて悔いるはめになった。私の好みからは割と離れた作風だった。(理由1、人間関係をテーマにした話が多い。理由2、展開が起伏なく淡々としている) もっと短篇小説の妙味や、おそろしいくらいの想像力の冴えが味わいたかった。
ともあれ、何篇か紹介しよう。
“The Understory”は20世紀前半、ドイツのフライブルク大学を舞台に、影が薄く侮られがちな研究者シェーナー博士*2と学内の花形教授マルティン・ハイデッガーのささやかな交流と離別を描いている。
森をほっつき歩き、ときに木に登る姿を遠巻き気味に眺められ、生徒にもなめられっぱなしのシェーナー。しかし優秀な教え子が「ハイデッガー先生の授業と時間が重複してしまうので、残念ですがこの講義には出られなくなります」と言い出したがため、勇気をふりしぼってハイデッガーに接触する。
「樹皮のかけらから何が学べるというんです? そのようにしげしげと見て」
(作中のハイデッガーの台詞)
シェーナーの研究にハイデッガーが見せた関心は、意外にも社交辞令ではなかった。ふたりはしばしば森で散歩し、語らうようになる。しかしユダヤ人であるシェーナーの周囲には反ユダヤ主義の影がせまる……。
かたや目だたない凡庸な講師、かたや学内のスーパースターの二者はナチズムを軸にしても対照的な関係だ。しかしこの作品ではドラマティックなことはなにも起こらない。シェーナーは徐々にハイデッガーと疎遠になり、その後アメリカへ逃れ、彼の内心をついに理解することもない。
“Planetarium”は妻子を連れて旅行に出た男が、少年時代に同級生だった男と遭遇する。さほど親しくもなかった相手は、ふと「プラネタリウムの会」の話を語りだす。科学教育に力を入れていた進学校だったため、小型プラネタリウムのついた部屋があった。そこへ侵入する手段を見つけた何人かの少年たち。だがある日、生徒がボヤ騒ぎを起こしてしまい、部屋は封鎖されてしまう。語り手は「プラネタリウムの会」に参加していたことを頑として認めず、元同級生は絶対にいたに違いないと主張して激昂する。
この二本はいずれも人生における「すれちがい」をめぐるリアリズム小説だ。本や図書館にもまつわる中篇“Circulation”は父子関係の話であり、本書では男たちの関係性がくりかえし取り上げられる。
もちろん、お待ちかねの幻想小説もちゃんと収録されているのでご安心を。本書の引き合いにカルヴィーノの名が出されているのは、架空の街を紹介する掌編Urban Plannningシリーズの存在あってのことだ。
“Case Study Number Four”はすべてが柔らかくねとついた街ガンゾニーアの話。堅固なものはなにもなく、この街のコラムニストのスタンスは毎日変わり、政治家にいたっては毎時間主義主張を変える。一週間以上ひとつの考えにしがみつくのは異常と見なされる。
“Case Study Number Five”では、一日6食の習慣がある小都市ヴァッシロニアに食のビジネスブームが訪れる。ありとあらゆる国の料理を出す店が出現し、平凡なビルは巨大な調理器具型に次々変わり、食がすべての中心になる。経済にとどまらず、文化も食に支配される。服飾の店は、各国料理に合わせるための服や、マジパンなどの食材からできたドレス、あるいは単に食べこぼしてもいいような服を売り出す。風俗街はクリームやファッジ、調味料を塗ったり塗られたりするプレイでにぎわう。
“Case Study Number Six”に出てくるのは、都市であることを否定する都市だ。公害も発生しているほど人工的で近代的な街並みなのだが、住民はその現実から目をそむけ続ける。高層ビルを「山」と呼び、中央駅を「丘」と呼び、水辺の工業地帯を「沼沢地」と呼び、下水道は「アロヨ(乾燥地帯の小川)」、褐色砂岩を貼った高級住宅は「茶色い岩」、市庁舎は「迷子石」で市長は「丘の間から来たキノコ採り」と呼ばれる。そんなアホな。
この手の話は、ちょっと楽しい。しかしアイディアを見せただけに留まり、それ以上ヒネリや心を揺さぶる何かがあるわけではないのでやはり物足りない。Horvathの魅力はおそらくミニマルなところ――ささやかさ、地味さと言い換えてもいいだろう。代わり映えのしないところをじっと見つめるうちに、はっと気づく。そんな体験を狙っている気がした。
著者のギャグが一番ストレートなのは“Altered Native”だ。これは「もしゴーギャンがグリーンランドに行ったら」という、妄想をつづったような一篇で完全に出オチである。本作ではタヒチに飽きたゴーギャンが「グリーンランド――今度こそまさしくプリミティヴィズムが約束された地。」とか、響きを立てて動く氷はド派手なマンゴーより静物画のヴァニタス(はかなさ)の表現にふさわしいとか考え、毛皮と白・銀・クリーム・象牙色などの絵の具を買いこみ、かの地へ赴くのだ。イヌイットの女性のヌードを描き、また北国版『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』を完成させもする。
架空歴史ものになるわけでもなく、批評としての創作になるわけでもなく、現実のゴーギャンと変わらず主人公がただ貧困と孤独の中で亡くなる話にするのがHorvathらしい。フィクション嗜好が「薄味好み」の方なら、私より本書を楽しめるのではないかな。
- 作者: Tim Horvath
- 出版社/メーカー: Bellevue Literary Press
- 発売日: 2012/05
- メディア: ペーパーバック
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