ヴァンダナ・シン “Infinities”

 SF色は薄いが、重く濃密で読みごたえがある。数学にとりつかれた男の一生。ジョン・ウィリアムズストーナー』に、地域の宗教対立問題を加えたような話である。
 アブドゥル・カリムはイスラム教徒とヒンドゥー教徒が混在する地域で暮らしている。町の学校で長いこと数学を教えてきた。小柄で細身、もう若くない。息子たちは独立し、妻はすでに亡く、ひとり老いた母を介護しながら日々を過ごしている。
 彼の学生時代からの友人ガンガダルはヒンドゥー教徒で、文学を学んで研究者になり、時おり詩を書いている。興味が共通するわけではないが、アブドゥル・カリムにとっては唯一の理解者である。作者が示唆するのは、物理学や数学は世界の見かたの一例を提示する学問であり、その点で詩や文学と共通することだ。本作の合間合間では、主にインドやパキスタンの数学者と詩人の言葉が引用される。
 まず、読者の胸に重く残るのは、主人公が何より好きな数学理論への取り組みより、家族と生きる人生を優先し続けた姿だろう。父の死によって研究者の道をあきらめ、故郷に戻って働き、妹たちの持参金を捻出する。不器用な家長の見本のような男だが、真面目に生きてきたことは間違いない。老いてからようやくやりたいことができるようになる。これは、いま日々労働に勤しみ、定年まであと三〇年ほど「逃げ延びられる」かとぼんやり悩む身には深く刺さる。
 人間がメインテーマとなる印象がある作者で、個人的にはあまり関心が高くなかったが、密度と迫力にすっかりやられた。