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実験的・館もの怪奇譚 - There is No Year (2011) by Blake Butler

 There is No Year (2011) by Blake Butler (Harper Perennial, 2011)

 ちょうど二年前(ギャー)にもBlake Butlerの短編集について書いたが(→http://d.hatena.ne.jp/granit/20100419)今回は約一年前(ギャー)に刊行された長編について。長編といっても、ごく短い章の断片で形成されている。
 アウトラインはひとことで説明が可能だ。父・母・息子の三人が、中古住宅に引っ越してくる。しかし一家には様々な怪奇現象が降りかかる。
 例えば、一般的なホラー小説であれば怪奇現象の原因が明かされていく。非業の死を遂げた者の怨念であるとか、処刑された異常者であるとか、もしくは絶対的な悪らしき存在であるとか、でかく凶悪に育った獣・虫・植物とか。たいていは発端があり、結末がある。
 ところが本書ではついに原因がわからない。家族のドッペルゲンガーが増える、虫が沸く、やたらとものが駄目になる。
 あるいは、「父」が食事を送るための古く小さな手動式エレベーターを発見するが、それより上には部屋がないはずだ。しかし、水を入れたコップを試しに送ってみると、飲み干されて返ってくる。「父」の通勤にはどんどん時間がかかるようになり、車道は無限に続くかのように思われる。白黒反転した、もうひとつの我が家への隠し通路に迷いこむ。「息子」は露骨に怪しげなクラスメイトの少女と仲良くなるが、彼女の家へ遊びに行く過程もまたとんでもない長く苦しい道のりで、家にいざ着いても内部でも奇妙な旅が続くことになる。
 だが、その不条理に遭う家族たちの感情は、ほとんど描写されない。行動だけが淡々と記される。喉が渇いたり、皮膚がひび割れたりといった現象のみでかろうじて反応がわかる。ふりかかる災難がどんなにすさまじくとも心情や会話は読者には見えてこないのだ。ありとあらゆる恐怖が描かれるにもかかわらず、である。(終盤「父」は黒服たちに拉致され、謎の施設で謎の実験体あつかいすら受ける!)
 そもそも「父」「母」「息子」は具体的な名前を与えられていない。キャラクターが極端に記号化されているのだ。ときに散文的で、平易で、ぽつぽつパラパラとした手ざわりなのは著者の文体が、本書の妙な「熱のなさ」を引き立てている。この雰囲気をシュールと呼ぶのは少し違うような気がする。私は聖書の黙示録のパートを思い出した。あれも災いのバリエーションや姿かたちにはっきりとした理由が存在しなかったりする。こういうことが起こったという作中事実のみが語られる。そこに人間が理解できる「理」はない。だが、現実の天災だってそうではないか?
 短編集を読んだときにも気づいたことだが、Butlerが書く光や安息はどこか不穏である。例えば、その光があまりに強すぎるのではないかと疑念をおぼえる。一般的に輝きには救いや希望のイメージがあるが、Butlerの作中においては、光もまた災いの一種なのではないかと思わせる――そんな印象を抱いてしまう。現実だってそうである。ここに因果応報はなく、善悪の二元もなく、ただ結果のみがある。

《本作の気になったところ幾つか》

  1. ・「息子」がなにかにとりつかれたようになって発見した写真群。いろんな人物の肖像らしく、50人ほど人名が列挙されている。チョイスは映画監督や政治家、学者など幅広いが、デイヴィッド・フォスター・ウォレス、ウィリアム・バロウズ・ジュニア、フラナリー・オコナーなどの名も。それぞれに死に方が書かれた註がついている。
  2. ・「父は*註番号を見た」と列挙されている部分があり、註番号をクリックすると結末に近いページのあちこちに飛ばされるしかけがある。
  3. ・家の狭いところを通るところでは、行がページの中央で短く折り返されるようになったり、なんだかよくわからない写真がたくさん収録されていたりと、視覚的にも訴えかける造り。