圧倒的不条理と暴力-Last Days (2009) by Brian Evenson

Last Days (Underland Press, 2009) by Brian Evenson
 ☆シャーリイ・ジャクスン賞長篇部門ノミネート、米国図書館協会レファレンス・利用者サービス部会の選ぶ2009年ベスト・ホラー

 ブライアン・イーヴンソンは1966年生まれの作家。いわゆる文学とジャンル・フィクションの境界に位置する作品を書く人だという。このLast Daysは大衆小説寄りで、探偵が活躍するスリリングなミステリ……と言えないこともない。この小説の探偵役クラインは、ほとんど推理したり事件を解決することもせず、読者に内心の想いを吐露するでもなく、ミステリ読者が期待するような探偵的活躍は全然しない。しかし少なくとも第1部“The Brotherhood of Mutilation”は「ミステリしている」。しかもきわめて高いレベルで。それもそのはず、イーヴンスンはThe Open Curtain(2006)でエドガー賞および国際ホラーギルド賞の候補になっており、ミステリの才能もすでに折り紙つきであった。なお、じつは第1部はもともと単体で中篇として完結していた。03年に薄い本として出版されたときは刷数315部だったそうだ*1。本書はそれに続編“Last Days”を加えたものであるが、この続編が第1部とだいぶ方向性が異なるクセモノなのである。

 Wikipediaによればイーヴンソンはしばしばバラード、ボルヘスポール・ボウルズカフカバロウズコーマック・マッカーシーロバート・クーヴァー、ポオなどと比較して語られるという。だが私はこの作品に限って言えば、比べるべき作家はジム・トンプスンではないかと思った。Last Daysには不穏で邪悪な気配が充満している。一見地味だが異色な舞台設定という点において、ピーター・ディキンスンを引き合いに出してもいいだろう。日常(現実)が揺るがされる話であること、アクション要素が強いこと、カルトな妄執の物語であることから、マット・ラフ『バッド・モンキーズと比較しても面白いかもしれない。

 注意!この小説は身体の損壊、過剰な暴力の描写を多々含む。苦手な方は以下のあらすじの閲覧を避けるように。

 クラインはかつて探偵*2だった。しかし今は自宅で怠惰に引きこもって暮らしている。出不精の理由のひとつは、以前事件に巻きこまれ、自らの手首の片方を焼き切らざるを得ない状況に陥り、生活にやや支障があることだ。そんな彼の元へあるとき、2人の男から電話がかかってくる。彼らはクラインの協力を求めていた。金に困ってはいないクラインは謎の電話を無視し、送りつけられた航空券も放置した。ある真夜中のこと、ふと目を覚ました彼は枕元に2人組の男を発見する。


 ラムズとグースと名乗った彼らに拉致されたクラインは、辺境のカルト教団《切除修道会》(The Brotherhood of Mutilation)へ連れて行かれる。信徒は手術か自傷によって指や耳など身体の最低1箇所を失っている。彼らは欠損の数によって序列を成し、リーダー格の1人ボーチャートは「12」であった。だが現在の最高指導者エイリンの位階はさらに上である……。


 ボーチャートがクラインに依頼した仕事。それはエイリン殺人事件の解決であった。逃げ出せば殺すと脅され、クラインは仕方なく調査に乗り出す。しかし現場からは死体が動かされており、遺体は聖なるものゆえに見せられないと言われる。おまけに事情を聴取する相手である「10」以上の幹部たちは「1」とは会わず、最低「4」以上の者にしか喋らないという。彼は苦肉の策でテープに音声を吹きこんだものを託し、回答をもらうものの、インタビュー内容はあちこち検閲削除されていた。業を煮やし、直接幹部と話をさせるようと訴えたクラインは、薬入りの酒を呑まされて昏倒してしまう。意識を取り戻した彼の足からは、指が3本とりのぞかれていた。これで望みどおり、幹部と面会可能な身にしてやったというわけだ。クラインはボーチャートと頭脳戦を繰り広げ、真実を追い求めるが。(第1部“The Brotherhood of Mutilation”

 命からがら教団を脱出したクライン。だが、彼が入院する病院に教団からの刺客が迫り来る。窮地を救ったのは隻腕の金髪男ポール。なんと教団はかつて内部分裂しており、アラインやボーチャートと共に設立者だった「最初のポール」率いる団体が教団と敵対していたのだった。敵対グループ《ポールたち》は誰もが隻腕、金髪と「最初のポール」を真似た姿をしており、なぜかクラインを神の子として祭り上げる。誘拐されてからこのかた「帰りたい」ばかりが口癖だったクラインは果たして日常へ戻れるのか? 誰を信じれば救われるのか?(第2部“Last Days”)

 ラムズとグースのとぼけたコンビ、食えないボーチャート、そして倒れていたクラインを発見した刑事フランク。それぞれとの軽口の応酬がテンポよく、会話シーンをも飽きさせない。このようにクスリとさせる部分こそあるが、この小説を濃霧のように覆うのはあくまで不条理と虚無だ。まったく先の見えない中でクラインと共に読者は困惑することになるだろう。ところが、第2部では頼みの綱の彼が、みるみるうちに読者から届かぬ果てへ行ってしまい、あとには血しぶき乱れ飛ぶ展開が待ち受けている。この2部では「人でなし」という言葉が何度も繰り返される。クラインの狂気は、熱い怒りではない。冷徹というのも違うような気がする。哀れみやためらいがごっそり欠如した状態だ。我々にできることは吹き荒れる暴力の嵐をぽかんと見守ることのみ。
 〈ネタバレ〉1部・2部ともにクラインが陥れられる理由は共通する。きわめて人間らしい、卑小な動機だ。(/ネタバレ)皮肉にも、日常への帰還を強く望むクラインの抵抗は、日常から遠ざかる結果につながるのだった。「異常な人物たちと単身戦う探偵」という役だったはずの彼が、気づけば人でなしの領域へはまりこんでしまう。このあたりの虚無感と切なさはノワールとしても一級である。
 またこの小説は、行動が制限された状態で危機を乗り越えるシーンがうまい。軟禁されている。身体にハンデがある。病院のベッドの上にいる――シチュエーションは様々で、毎回緊迫をもたらしてくれる。リーダビリティは非常に高い。無駄な修飾がなく、一文が短いこともあってぐんぐん読み進めてしまった。3日間(計6時間くらい)久々にページを繰る手が止まらない経験をした。
 第1部は変なもの好きのミステリファンに広く勧めたい。中篇という長さゆえ翻訳・紹介が難しいように思うが、ぜひ機会があってほしい。一方の第2部はパルプと暗黒小説を愛してやまぬハードコア読者向け。「痛い描写」に耐性がないと引いてしまうかもしれない。

Last Days

Last Days

 装丁とタイトルはもうちょっと派手でもよかったんじゃないか?

*1:追記:チャップブックです。ソースはこの動画→http://vimeo.com/7212226 喋っているのは版元の中の人。

*2:荒事師と言ったほうがいいかもしれない。

“Scorch Atlas”余談

 一応Atlas(地図)の話で始まり、Atlas(地球)の話で終えて統一をとっている。掲載媒体は見事にバラバラ、どれもマイナーだ。変に実験小説に傾倒せず、幻想性の強いものを書き続けてくれればいいと思う。ささやかなユーモア感覚も失って欲しくない。本書のサブタイトルは「手遅れな入門書(A Belated Primer)」なのだが、実はページをめくると他に13の副題があることがわかる。また作品の合間にはインク、芋虫、歯牙、光輝など人間を襲う奇妙な災厄が描かれたごく短い文章がはさまっているのだが、「糞尿」の回は「何があったか語りたくない」という一文だけで終わっている。

 出版元はシカゴに拠点を置き、若手新人の発掘に注力するFeatherProof Books。本書以外にも大量にスリップストリームを出しているので、今後もいろいろ買ってみようと思う。変な粗筋の本ばかりですばらしい。ロゴもすごい(しかしFeatherProofではなくてArrowProofじゃないか?)

 Butlerは他にノヴェラ“EVER”をインディーズ系プレスから出している。こちらの出版元はカラミティ・プレス*1。刊行物がどれも奇抜な表紙で、SleepingfishというZineを出しているところだ。私が前からブックマークしていたSleepingfishとは、

    1. 1.柴田元幸訳がある『雪男たちの国』を書いたノーマン・ロックの書評が載ったり、
    2. 2.Locus誌のメキシコのSFライターにインタビューする企画で、最近の注目株として挙げられた「ラファティを思わせる変な作風」のEdgar Omar Avilesの詩の翻訳が載ったり、
    3. 3.ConjunctionsやMcSweeney'sなどにも掲載暦があり、やっぱり変な話を書く人なのでつねづね読みたいと思っていたAdam Golaskiが載ったり、

 ……している、ただならぬミニコミ誌だ。EVERは比較的地味な感じだったからすっかり見過ごしていた。灯台元暗し。こちらも評判を見て、よさそうであれば試してみよう。

*1:災厄出版……。

暗黒スリップストリーム-Scorch Atlas(2009) by Blake Butler

“Scorch Atlas” (Featherproof Books, 2009) by Blake Butler
 死と飢餓、腐敗と汚穢、そして黙示録的災害に満ちた短篇集。ほぼ全てが家族の物語である。作者が意図して書いたのかは不明だが、同じ単語やプロットが何度も出てくる。死にゆく世界を舞台に、執拗に赤ん坊の生誕を描くギャップが不気味で、印象に残る。
 先述の通り、本書はいわゆるポスト・アポカリプスもの(post apocalyptic fiction)である。アフターホロコーストもの、破滅SF、パニックSFとほぼ同義のサブジャンルだ。「世界の終わり」はそれこそ神話の昔から使われてきたテーマだが、世界大戦前後に発展し、先述のような分類名を与えられるに至った。ウェルズからバラードまでジャンルへの貢献者は挙げればきりがない。ここで語るのはやめておこう。
 さて、ここ数年、コーマック・マッカーシーザ・ロード』のヒットに大不況が拍車をかけたのか、このジャンルに属する小説が引きも切らない。文学・SF・ホラーを横断する間口の広さも人気の一因だろうか。08年にはアポカリプスSF傑作選Wastelandsなんぞも出ている。
 雨後のタケノコ群の中からあえてこの1冊を選んだ理由は、ずばり装丁だ。タイトル通り焼け焦げた地図帳〈Scorch Atlas〉を模している(題名はもちろん「瀕死の巨人」とも「滅びゆく地球」とも読みかえられる)

 汚してないよ! 元からこういう加工なんだよ!

 中身も大変なことになっている。みんなこういうの好きよね?

 というわけでそろそろ全作紹介に移ろう。時にグロく凄惨なので注意。冒頭にはベケットの一節が引いてあった。
 以下(-)は微妙、☆はGoodな作品。

  • The Disappeared

 世界崩壊の予兆。町では人間の消失が度重なる。「ぼく」の母親もその1人。母を愛しすぎていた父は狂乱して近所を探し回り、あちこちで彼女の姿を目撃したと言い張る。目撃場所は蛍光ペンで日付と共に地図に書きこまれた。父は母が隠れていないか確かめるため家の壁まで壊す。彼は家の床に落ちていた母の抜け毛を集めてリボンで結んだものを嗅ぎながら、彼女のパジャマを着せた枕を抱いて寝ている*1。そんな父は問題行動のあまり遂に刑務所に送られる。「ぼく」が地図の目撃地点をつなぎあわせると、母の顔が浮かび上がる。地図の母親は目を開き「こっちで達者でやっている」と語りかけてきた。
 こっちってどこだ。ともかく、物語はヤマもオチもなく終わる。現実とも、熱に浮かされた末の妄想ともつかない独白。

  • Smoke House (-)

 なぜか度重なる火難に見舞われる一家。7回も謎の出火が起こる。7回目に、息子がマットレスから沸いた火に包まれて死ぬ。しかし室内にはタバコもマッチもライターも見つからなかった。
 少年には夢遊病癖があって、どうも彼が発火能力者だったのではないかと思われる。一家の娘もまた普通ではなく、ずっと不運続きで、親しい者がみな不幸に巻きこまれるという特性(?)を持つ。彼女は自分の悪運がついに兄弟の死を招いたのではないかと思いこんでいるが、それが単なる偶然かどうかもわからない。バトラーの作品はいつも超常か幻覚か微妙な線でフラフラさまよう。思春期の子供が無意識に「力」を使うと話は珍しくないわけで、読者の想像をめぐらすことを意図しているとは思うのだが……。うすぼんやりとした不安感と喪失感で覆われたゴシック小説である。が、ぼんやりしすぎていて緊張感に欠ける。

  • Damage Claim questionnaire(-)

 Q&A形式。我が家が災害に見舞われた妻(未亡人)の苦情申し立て調査票形式。

  • Want For Wish For Nowhere

 初の実子を死産した女が、州から赤ん坊と養育マニュアルをもらってきて育ててみる。まず最初の妊娠が恐ろしげ。赤子は母体の栄養分を根こそぎ奪い取る。「赤ちゃんは充足することがなかった。奇妙なものまでねだった。私はカーペットに落ちていたガガンボをつまみ食い、シャワーカーテンを舐めしゃぶり、血を飲み下しもした。」 この赤子、腹から取り出されたときは耳から顎にかけて金髪がフサフサだったという。「州から授けられた赤ん坊」も負けじと尋常でない。たいへんな勢いで成長し、あっという間に成人男性になる。いくら髪を切っても真っ黒な剛毛がすぐに伸びる。言葉を教えようとしても「ボール」と繰り返させれば「カ・キーシュ!」と言い、「マミー」といわせようとすると「パウウウウ・パウィイイイ」になってしまう。おまけに母子を取りまく世界は明らかに滅亡中だが、大変ながらも元気でやってるようなので収録作中でも屈指の平穏な話といえよう。

  • Television Milk

 とにかく気色が悪い。コーマック・マッカーシーばりの荒廃描写。語り手である「母親」は3人の息子に閉じこめられている。

 (前略)階下では子供たちが裸でテレビに叫んでいる。受信状態がひどい中でテレビの言葉を聴いている。近頃テレビは彼らに、床にそのまま糞を垂れるように言っている。服を破り捨て、鏡を壊し、私を二階の寝室に閉じこめるように言っている。夫の頭皮は、何百もの近所の猫と共に天井から吊り下げられていた。長い夜にはキイキイ鳴るのが聞こえるはずだ。子供たちの歓声も聞こえるだろう。彼らは猫肉のキャセロールを作り、猫肉のサラダを作り、猫皮のフランベを作った。そして鍵穴ごしに私に与えて寄こした。

 「恐るべき子供たち」もの。母親がいまだに息子たちに乳を与えさせられているのも、普通だった頃は大変過保護な教育ママだったというのも実にイヤな感じ。タイトルはテレビも母乳も「与えるもの」というところで共通する。与えた結果がこれだよ!

  • The Gown from Mother's Stomach ☆

 関節痛にかかって娘のために服が縫えなくなった母親は、家中のあらゆる繊維質をかじってまわる。娘は彼女の面倒を見るため家から出られない。パンパンに膨らんだ腹をして母が語ったうわごとは、小さなころ森でしゃべる熊に出会ったというもの。死んだ母の腹からはそれは見事なガウンが出てきた。それを着た娘は旅に出て、森で熊に会う。だが、この熊は言葉を返してくれず、娘を抱きしめてバリバリと頭から食べてしまう。食べられた娘は、熊と一体化して熊の目を通して見るようになる。だんだん消化されて全てはぼやけていく。排出されて、この壊れた地球と合一し、海とひとつになる。そして……。
 幻想度ピカ1。わずか3ページという短さで無駄がない。もしも誰かがこの作家を翻訳するならば、これをアンソロジーの片隅にひっそりと寝かせてほしいものだ。

  • Seabed

 生まれつき巨大な頭を持つ孤独な男は、父親が失踪したと訴える少女と行動を共にするようになる。街からは水が消え、渇きに苦しんだ二人は水を求めてさまよった。ところが、やっとたどり着いた海にさえ水はなかった。かつて海底だったところを歩いていくと、海底にあったとは思えないピカピカで美しい家が見つかった。男が押してもドアは開かないが、少女が触ると玄関が開く。中は何もかもが新しく快適で、二人は久々に飢えと渇きを癒し、服を着替え、柔らかなベッドに横たわってテレビでアニメを見る。ベッドサイドに置かれた写真立てには、少女の父の若い頃の写真が入っていた。
 家に入ってからの描写が天国すぎて、これ死んでるんじゃないかとしか思えないが、特にそういうヒントらしきものもない。いわば、ヘンゼルとグレーテルが素敵なお菓子の家で幸せを味わったところで終わってしまうおとぎ話である。意味など考えずにこの快さに身をゆだねればいいだろう。タイトルは「海底」と「海にあった寝台」のダブルミーニング

  • Tour of the Drowned Neighborhood (-)

 タイトル通り。

  • The Ruined Child

 仲むつまじかったはずの若夫婦。しかし荒れ狂う天変地異の前に、愛する我が子の死をむざむざ見ていることしかできなかった。ところが夫は、死んだはずの赤子が屋根裏部屋に陣取っているのを発見する。しかも2つしか単語を覚えられないうちに死んだというのに、なぜか聖書調で予言を授けてくる。

「一つめの災いは去った。/見よ、これから二つの災いが訪れる。/わが尻がその門扉である」

 どれが一つめの災いかも判らないくらい災難を被っているのに、さらに大いなる災いが来る。しかも尻から出る。夫は妻に赤子を見せまいと屋根裏を封鎖するが……。
 キリスト教要素が濃厚な一篇。洪水に虫害、まさに黙示録の災いだ。いかなる災いより家族を喪失することが一番つらいという話である。

  • Bath or Mud or Reclamation... (-)

 語り手が泥の中に横たわり、兄弟の名前を思い出そうと努める。以上。

  • Water Damaged Photos of Our House Before I Left It(-)

 損なわれた16枚の家族写真に映っていたものを思い出し、主人公が語るのは過去のはかない思い出と訪れた悲惨だ。スティーヴン・ミルハウザー「展覧会のカタログ」やジョルジュ・ペレック『美術愛好家の陳列室』など、架空の絵画をまことしやかに文章で現出せしめた先行作品はいくつもある。傑作級と比べるのは酷にしても、この短篇はほとんど視覚的想像力を喚起しない。

  • Exponential (-)

 遠くに巨大な壁(モノリス?)がそそり立ち、呼びかけてくる。みなが壁と一つになるという目新しくないエンド。ただし、最後のページがまるごとタイポグラフィで壁との合一化を表しているのには微笑を誘われた。

  • Bloom Atlas (-)

 変容する海の話。短く散文的。「金属とトゲとネオンで出来た鳥がいる」そうで、新しい生き物たちが暮らす新しい世界に地球が変態中とも考えられる。そう新生の希望にあふれたムードでもないが。

Scorch Atlas: A Belated Primer

Scorch Atlas: A Belated Primer

*1:実に変態的である。

ユダヤ教徒が食べても問題ない幻獣を仕分けた辞典-The Kosher Guide To Imaginary Animals (2010) by Ann & Jeff Vandermeer

 “The Kosher Guide To Imaginary Animals”(Tachyon Publications, 2010)by Ann&Jeff Vandermeer
 米国のファンタジー界を牽引するエディター、アン&ジェフ・ヴァンダーミーア夫妻。彼らが編集するアンソロジーは「ニュー・ウィアード」「スチームパンク」から「架空の病気*1」まで気を引かれるテーマばかり。そんな夫妻の新刊はひときわ異色な非・小説だ。100ページに満たぬ、小さくてかわいらしい本である。

The Kosher Guide to Imaginary Animals (The Evil Monkey Dialogues)

The Kosher Guide to Imaginary Animals (The Evil Monkey Dialogues)

 カシュルートというものをご存じだろうか。ユダヤ教徒における食事規定のことだ。この中で動物は「清い動物」と「不浄の動物」に分かれており、食べてよい清い動物はカーシェール(コーシャー)と呼ばれる。
 本書では「この幻獣ははたしてカシュルート上、食べてよいものか」という判定をA−Z順に夫妻がこなしていく。登場するのは東西の様々な架空の生き物たちである。1体につき見開き1ページが割かれ、左ページにイラストと生態解説が、右ページにはコーシャーか否かという判定が記されている。
 たとえばドラゴン、ベヒーモス、不死鳥、バンシーといった神話やファンタジー小説における有名株。あるいはコーンウォールの梟男(オウルマン)、ビッグフット(サスカッチ)、チュパカブラ、ジャカロープ(角の生えた兎)などの都市伝説でおなじみの面々。そしてE.T.に、シーモンキー登録商標)……さらに衝撃の項目が!
 ボルヘス
 「アルゼンチン原産の、この盲目のマジカル・クリーチャーは、長い時を経て人間としての血肉すべてが書物の紙に置き換わっている。」から始まる解説が素敵きわまりない。(この後、迷宮や図書館でしばしば発見されるこの幻獣に遭遇した者がたどる、恐るべき運命が警告される) ちなみにこのボルヘス、本でできたゴーレムと見なせるので不浄な動物ではない、食ってよしという結論が導き出されている。

 夫妻の妄想力の爆発はこれに留まらない。巻末では、料理番組でも活躍する気鋭のケーキ職人――実はスターウォーズWorld of Warcraftを中心としたガチのヲタク――ダフ・ゴールドマン*2を招き、調理アイディアを披露してもらっているのだ。 また公式サイトには料理レシピが掲載されている。本書には載っていない特別篇である。こちらの内容も「焼きクトゥルーのっけ盛りパスタ」「あぶりモンゴリアン・デスワーム巻」など読みどころ満載だ。
 さて本家『幻獣辞典』同様、本邦の妖怪も3体が検討されている。鐙口(あぶみぐち)、あかなめ、獏。なぜそのチョイスか。 追記(23:13):実はこの他にも本邦出身のモノがいるのだが、たいへん「!?」なのでご自分の目でお確かめあれ。これは妖怪と言っていいのか?

 獏はこんな感じ。
 以下余談:なお、ジェフ・ヴァンダーミーアの短篇は久々に邦訳され、今月24日発売のSFマガジン2010年6月号に掲載されるらしい。

  • この本と繋がる本

 マイケル・シェイボンユダヤ警官同盟』上下巻(新潮文庫
 →もしユダヤ人が集団入植したのがイスラエルではなくアラスカだったら? という架空の設定の下にハードボイルドを書いたもの

*1:ヒューゴー賞関連書籍部門ノミネート、世界幻想文学大賞アンソロジー部門ノミネート

*2:この人のケーキがいかにもアメリカンな感じでまたすごい。本当に食えるのかコレ。http://www.charmcitycakes.com/gallery