露文インタビュー集“Contemporary Russian Fiction: A Short List”(2008)

 フィンランドを拠点に活動するスウェーデン語翻訳者・ジャーナリスト・北欧のロシア文学出版人である、Kristina Rotkirchが現代ロシア文学の大御所たちにインタビューしたのを英語でまとめた本。ストックホルム大学などから後援を受けている。
 登場するのはボリス・アクーニン、エヴゲニー・グリシュコヴェツ、エドワルド・リモノフ、ユリイ・マムレエフ、ヴィクトル・ペレーヴィン、リュドミラ・ペトルシェフスカヤ、ニナ・サドゥール、ミハイル・シーシキン、ウラジーミル・ソローキン、タチアナ・トルスタヤ、リュドミラ・ウリツカヤだ*1。翻訳がない人がいる気が。なにせ人名表記の基本も知らないので、こう書くほうがいいよという名前があったら教えていただきたい。

Contemporary Russian Fiction: A Short List

Contemporary Russian Fiction: A Short List

 今月は露文が熱い。吉祥寺のOLD/NEWSELECTBOOKSHOP「百年」では、今週末ソローキンのイベントがある。「奇怪・奇天烈・痛快な小説『青脂』を手がかりに、ソローキンの仕事を捉えるとともに、10年代に突入した現在、彼が、ロシア文学が、そして世界文学がどこに向っているのか探る」らしい。自分が書いた『青脂』関連のエントリはこちら
 そして群像社からは久々にペレーヴィンが出版される予定とか。『宇宙飛行士 オモン・ラー』は「月にあこがれて宇宙飛行士になったソ連の若者オモンに下された命令は帰ることのできない月への特攻飛行。宇宙開発はただの幻想? 自転車で行くスペース・ファンタジー」らしい。オーストラリアで06年に演劇化されたこともあるという。中篇にちかい長篇で、本作からペレーヴィンの名が知られるようになってきたそう。

 さて「予習」の名目でこの機会に本書を入手した。そういう勢いがないと小説以外の本なんぞ読まない。
 200ページに満たない薄い本で、内容もあっさり気味。各1ページほど、各作家の生い立ちや代表作について割かれているので、私のような素人が入門書としてかじるにはいいかもしれない。すでによく知っている人にとっては軽すぎて話にならないに違いない。正直、学部生のレポートにも使えるかあやしいレベル。失礼ながらイマイチな質問が多いのだ。それにしてもアクーニンやペレーヴィンは明らかに質問者をおちょくった回答をしているような。ロシア語をやっている人はもっといい文献にあたれると思うので、本書を勧める対象は全然思いつかない。
 というわけでアクーニン、ペレーヴィン、ソローキンの3人についてのみ、気になったところを紹介する。

  • ボリス・アクーニン

 ひどくシニカルな受け答え。98年に出した『堕ちた天使 アザゼル』(2001, 作品社)は「まったく売れなかった」そうで、現にAmazon.co.jpの日本語による評価もさんざんである。(ところが本作、なんと07年からアメリカで映画化が進んでいてなんと現在も進行中。しかも主演はミラ・ジョヴォヴィッチだ。知らなかった) 幸いにも5作目以降から評論家の目に止まるようにもなり「一般読者の人気と、私の内面にある執筆欲求が幸運にも一致して」ブレイクする。
 もともとは学者・翻訳者で、井上靖三島由紀夫安部公房T・コラゲッサン・ボイルらをロシア語訳していることで有名だ。2000年代前半(〜2005年)に『ロシア語の現代日本文学アンソロジー・シリーズ』を沼野充義とともに監修してもいる。私が最初にアクーニンの名を聞いたのはこの企画だった。
 知的な人間が書くエンターテイメントという作風で、実際ジャンル名をタイトルにつけて何冊もの小説を書いている。邦訳の後書きにも解説があったはずだが、Жанры(ジャンル)シリーズはタイトル通りの小説を書く試みで『児童小説』(時間旅行冒険ものジュヴナイルSF)、『スパイ小説』、『SF小説』(ソビエト末期を舞台にした超能力もの)、『クエスト』(2部の別々の小説に分かれた「ゲーム小説」。読者自身が読みすすめることで謎を解明するスパイ/冒険/SFもの)
 そして近年はじまったСмерть на брудершафтプロジェクトも同種の試み。こちらはよくあるテーマをなぞった、全10の中篇から成る予定で年に2回発売され、現在までに6篇が刊行済み。第一次大戦期のロシア対ドイツを扱ったシリーズである。既刊分はそれぞれコメディ、メロドラマ、航空機戦アドベンチャーデカダン派、神秘主義*2、戦争小説だという。なんてこったw

リヴァイアサン号殺人事件―ファンドーリンの捜査ファイル

リヴァイアサン号殺人事件―ファンドーリンの捜査ファイル

 氏の面白かった回答いくつか。
Q:個人的な楽しみとして、どんな本を読んでいますか?
A:フィクションは読んでいない。ふだんは回想録、日記、歴史の本、バイオグラフィーなどを読む。

Q:自作の映画化についてどう思いますか。
A:よかったね、と思う。映画化は本を買ってくれる読者の獲得に有効だから。
Q:……それだけですか?
A:だって映画化の価値なんて、それが最大にして唯一の理由じゃないか。ほかにどんなものがあるというんだね?

Q:あなたはサムライですか?
A:いや。なにもマスターしちゃいないし、儒教を信奉してもいないからね。

 私の大好きなペレーヴィンは言葉少なに回答するので、彼のページだけインタビュアーの空回り気味の長文質問のほうが大半を占めている。しかも明らかに真面目に答えていない。

Q:ご尊父は空軍にいたのですよね? あなた自身も所属していたことがあった。そのあたりの体験は執筆に影響していますか?
A:父親ソ連防空軍に所属していたんだ。ПВО(PVO)というやつさ。だから私の名前もPVO――Pelevin, Victor Olegovichなんだよね*3。飛行機が好きで、よく学習帳に絵を描いていた。けど、私自身が空軍にいたことはないよ。MiG戦闘機の電気関係をやっていただけだ。研究所で学んでいたんだ。

Q:『恐怖の兜』は仏教哲学とネットのチャットルームがまとめて要素になっていますね。どのように(How)ネットとブッダを結びつけたのですか?
A:自分の脳内で。*4
Q:仏教とは、いつ、どのように出会いましたか?
A:ベナレスで、二千年くらい前のことだったかな。細かいことはもう覚えていないけど*5

Q:好きなSF小説は?
A:イワン・エフレーモフ『アンドロメダ星雲』

  • ウラジーミル・ソローキン

 待て次号。意外にも(?)一番きまじめに熱心に答えていた。


“Contemporary Russian Fiction: A Short List” (Glas Publishers, 2008) by Kristina Rotkirch & Anna Ljunggren

*1:11人いる!

*2:ラスプーチン風の怪人が登場。

*3:ネタなんじゃなかろうか。

*4:とんち問答みたいになってる。

*5:!w

とぼけた笑いと苦さ-Psychological Methods To Sell Should Be Destroyed (2008) by Robert Freeman Wexler

“Psychological Methods To Sell Should Be Destroyed” (Spilt milk press, 2008) by Robert Freeman Wexler

 とぼけた味わいの幻想文学集。本書はチャップブック――てのひら大のパンフレットのような同人誌だ。
 著者ロバート・フリーマン・ウェクスラーの小説は、2003年ごろから世に出るようになった。本書は一応、初の短篇集ということになるだろう。ケリー・リンク*1が出版している小雑誌Lady Churchill’s Rosebud Wristlet、ジェイ・レイクらが編集するファンタスティック同人誌Polyphonyなどに掲載された6篇が収録されている。SF情報誌ローカスが選ぶ2009年のお勧め本リストに“The Painting and the City”(ファンタジー長篇部門)が入り、徐々に注目されてきている作家のようだ。
 では、ちょこちょこ引用しつつ紹介しよう。ネタバレ注意。

  • Suspension

 わたしは腕を大きく広げ、背中からひっくりかえった。空から見下ろせば、雪上の四本の腕の痕跡は巨大なトンボに見えただろう。

 4本腕と160キロを超す巨体の持ち主ブラウナーは、凍った歩道で転倒してひっくりかえり、雪の中に埋まって起き上がれなくなる。助けようとしてくれる人はおらず、彼は雪中でひとり思考をめぐらす。はじめて声をかけてくれた中国人の老女の助けもつっぱね、なおも雪の中に横たわって過ごす。だが、老女は仲間を呼び、彼を起き上がらせてくれたのだった。
 一作目で察せられるとおり、ウェクスラーの書く「ふしぎ」はいたってささやか。ブラウナーが4本腕であるいわれも語られないし、それ以外にファンタジックなことは何ひとつない話である。言葉で魅力を紹介するのが難しいタイプの作家だ。一文ずつ読まない限り、いったい彼の作品のなにが素敵であるかはわからないだろう。独白を読んでいくにつれ、意固地になっていた語り手の心が中国人の家族によって溶かされていく過程がわかる。まさしくハートウォーミングな小品だ。

  • Tales of the Golden Legend

 これはもっと露骨に変な話。
 黄金。それはこんがり焼けたパンの色。「プロローグ:パン」では、イタリアのパンを売る店の日常のワンシーンが描かれる。しかし続く「パンと対話する」は、ある日パンと会話が可能になった男の独白だ。

「わたしを完食してくれないの?」パンの質問は音楽のような声音であった。パンは集合的有機体であるからして、男女混声の合唱のようにしゃべるのだ。

 パンは饒舌に、自分たち一族(パンだ!)の魅力を語りかける。世界中にちらばる同族の意識を通し、実にさまざまなことを知っていると自慢もする。いわく「パンは各々、イースト菌を通じて相互に連絡しあえるからね」 語り手の男はおのれの正気をうたがう。そりゃそうだろう。
 「パン皮の音」はパン自身が自分の生誕を講釈し、人間に食べられるところを実況しながら終わる物語。そして「エピローグ:パンの領域」は再び舞台を冒頭のパン屋に移す。しかし客と店員との応酬だけが響いていたはずの店は、実はパンたちのおしゃべりに満たされていたことが明かされる。とにかくパンたちが可愛らしい話だが、さりげなく世界の見かたの変化を提示しているあたりに作家としての技巧を感じた。

  • Valley of the Falling Clouds

 民話的・牧歌的なムードのロマンス。しかし、甘い雰囲気は苦い結末にとってかわられる。

  • The Green Wall

 ディーラーとして画廊に務める主人公の男エリクソンは、アパートの向かいの建物の壁に、いつのころからかジャングルの風景が映し出されるようになったのに気づく。生活は退屈で、思うようにいかない。彼が眼前に広がる緑をながめて過ごす時間はすこしずつ増えていく。あの景色は本物で、到達できるのではないか――ついに思い立ったエリクソンは登山用具などを準備し、アパートの窓から出発する。しかし近所の女性にのぞきに侵入した変態と思われ、傘で殴られた彼は、どこまでも落ちていく。気絶する前か死ぬ間際の、一瞬の幻想ともつかぬ美しい夢をもって物語は終わる。
 これも夢が覚めるむなしさがテーマと言えるだろう。それにしてもあんまりな失墜ではないか。
 ふしぎで、ふわふわしていて、ときどき苦味のある話が多い。モノローグの文体と表現の多彩さが魅力的な作家である。地味だが、噛めば噛むほど味わいが出てくる固焼きパンみたいな作風なのだ。時にはあまりにも漠然としすぎていて、ピンとこない作品もあるけどね。

 つづき:2010/6/7

  • Indifference

 妻が他の男と逃げた。2、3ヶ月も前のことだ。以来、中年男ブラウンはindifference(無関心、無頓着)な状態に陥り、眠れなくなり、水以外のものを受けつけなくなった。摂取するのは「午前の分の水」と「午後の分の水」だけ。外出もしなくなり、アパートの非常階段でぼうっとして過ごすようになった。そんな彼の自宅の居間に、毎週金曜日、男の生首が出現するようになる。
 最初は首を避けて暮らしていたブラウンが、首に触ってみようとしたり、目の前に料理を置いてみたり、女の首のほうがよかったと思ったり、徐々にindifferenceではなくなっていく。ある意味典型的な喪失と再生の物語である。勇気を出して前の奥さんに無言電話をかけてみて「アンタだってわかってるんだから。何もしゃべらないなら電話しないでよ」と言われ、決定的な喪失感にワアワア泣く。新しい生活に乗り出すため、ブラウンが今いる家から離れるようと決意するところで物語は終わる。首がなんだったのかはわからないまま。

  • The Sidewalk Factory: A Municipal Romance

 市的ロマンス(A Municipal Romance)。私的でも詩的でもありません。近代的な都市、どんどん発明される新製品、やる気に満ち溢れた女市長。語り手の男は、フェルトの帽子を圧縮して歩道の素材に変える工場で技術者をしていた。しかし改革によって次々に制定される法律は、夜間外出をとりしまり、自衛のためといって軍事協力をせまり、徐々に市民をしばりあげていく。帽子を圧縮した素材も、軽量の防刃・防弾素材として軍事転用される。女船乗りミラと出会い、恋に落ちた語り手の上にも、市当局の手がのびる。
 オーウェル『1984』などを思わせるディストピアもの。最後のほうは恋人を守っての立ち回りなどもあり、作者にしては珍しくわかりやすい、直球のエンターテイメントに仕上がっている。

 さて、長篇にも手をつけるかどうかは悩みどころ。

*1:主に柴田元幸氏が翻訳を手がけており、本邦でも『スペシャリストの帽子』『マジック・フォー・ビギナーズ』が出版されている。もはや大御所。

ニュー・ウェーブ暗黒メルヘン・スペースオペラ-Open Your Eyes (2009) by Paul Jessup

“Open Your Eyes” (Apex Publications) by Paul Jessup
 ポール・ジェサップはあまり自身の情報を明かしていない。Facebookのプロフィールによればオハイオ出身、ペンシルヴァニア在住。おそらくは30代後半から40代前半くらい。好きな映画は『レザボア・ドッグス』『メメント』『七人の侍』『攻殻機動隊』など。幻想小説系のウェブジンで短篇を発表してきた彼は、昨年はじめて著書を2冊上梓した。うち1冊が今回紹介する中篇小説(160頁)で、もう1冊は短篇集だ。この8月に新刊も出る予定。以下、ネタバレあり。
 読みやすいが、しばしば詩的な文章と、バスク神話から借りてこられた固有名詞がやっかい。主人公はおらず、中心となる人物が短い各章ごとに入れ替わる。(例として最初の一文。詩心がないので直訳↓)

 彼女の良人は超新星だった。彼がやってきて、まばゆく燃える光で彼女を揺るがし、星々のエッセンスで受胎させたとき、彼女は笑みを浮かべていた。体内で複合光が爆発的に広がっていったのを感じたのだ。ガスは宇宙船の鋼鉄の骨組みを通り抜け、忍び入ってきた。

 エキはあこがれの超新星と交わり、子を授かる。だが愛しい超新星は爆発の最終段階で崩壊のまぎわだった。エキは嘆きつつも遺児を産むことを決意するが、彼女の小さな宇宙船は夫の爆発の余波で炙られ、今にも破滅寸前である。そこへ難破船をあさってまわるGood Ship Lolipop号*1が着艦、めぼしいものがないか探しにきた3人のゴミ漁りが彼女を母船へ連れ帰る。
 ロリポップ号の船長イツァスは液体で満たされた保存容器に収まり、電線で船と直接つながり、全体を監視・操縦していた。イツァスは実年齢は400歳以上だが12歳の少女の姿である。すそが傘のように広がった黒いレースのドレスを着て、緑と黒のストライプ模様のアームカバー・レッグカバーといういでたちだ。彼女は容器内から動くことなく、蝋人形のような等身大の人形たちを操って船内の保全・監視・警備・盗撮などを行なっている。
 船員は3人。グラマラスな赤毛の女性マリ。顔のほぼ半分を失っている。なくした部分を金属の網にすげかえ、虫かご代わりにして内部で機械の蝶を2匹飼う。その恋人で、まともにしゃべることもできないいわゆる「脳まで筋肉」タイプの大男スゴイ。そして、その弟ながら対照的に弱気で小柄、グラビア雑誌で女性たちをながめることだけが趣味のホデイ。さらに「船の心臓部」は意識をもち、独自の企てをもっていた。
 あるときロリポップ号は突然襲撃を受け、敵船の人形たちに侵入される。イツァスも自分の人形を操って戦うが、逃した最後の一体がホデイを背負って逃走してしまう。敵船はかつて異星の言語ウィルス(ウィルス自体が寄生生命であるらしい)にむしばまれ、なんとか逃れた姉弟の意識(パテュエク=下記参照)は自分たちの復活をもくろみ、ホデイの意識にとりつくのだった。そして、敵船内で長らく眠っていたウィルス《サクレ》もまた目覚める。《サクレ》は脳の人間の記憶や自我の部分を滅ぼし、白い液状に変えて鼻や耳から流してしまう、恐るべき言語である。
 襲撃の中、エキは我と我が子を守ろうとあがき、イツァスは何百年も前に死んだ夫を復活させる望みを捨てず、マリはスゴイがエキに目移りしないか心配し……それぞれの愛が行き着く先は、はたして?

 ほかに設定をいくつか挙げると、
 《魂(パテュエク)》…この時代、基本的に人間の記憶はバックアップを保存することが可能。意識・記憶のことを《パテュエク》と呼び、これが失われない限りは身体のクローンを作ることで復活できる。
 《邪眼(ベタドゥール)》…一般的な武器。熱線銃らしいが、形状は長刀か槍のよう。使う前に予熱する?
 すべてバスク神話に由来する名前。ちなみにマリも神話に出てくる美女、エキは太陽という意味だそうだ。ほかにキチン質の外骨格とカニのような大顎をそなえたパワードスーツ《外装(ヌーメン・スーツ)》というのも出てくる。ヌーメンはラテン語で魂もしくは力という意味。


 近年まれに見る異色スペースオペラ出版社のサイトにおける著者インタビューによれば、ジェサップはロバート・エイクマンやケリー・リンクから影響を受けていると同時に、サミュエル・R・ディレイニー*2アルフレッド・ベスターハインライン、M・ジョン・ハリスンへも傾倒し、それらが入り混じったような作品を書いたそうだ。実際、私が読んでいる最中にもっとも類似性を感じたのはハリスンの『ライト』(国書刊行会)である。アメリカの作家の小説にも関わらず、本書はバクスターやレナルズ、ニール・アッシャー*3らによる英国産スペースオペラを思わせる、グロテスクさと過剰さを豊富にたくわえている。
 別のインタビューによればジェサップはチャイナ・ミエヴィルとジェフ・ヴァンダーミアの著作を愛し、自身のニュー・ウィアード*4への親近性を認めている。ただし本人によれば、彼の理想とする作風はニュー・ウィアードそのものより更にスリップ・ストリーム色、マジック・リアリズム色を深めたものだそうだ。
 くわえて彼は「最近のSFはハードSFか、ハードSFに近いものばかりで冒険心に欠け、型にはまりすぎている」「ニュー・スペース・オペラ*5とか言っちゃって、70〜80年代から何も進化してないのに」など、なかなか過激な発言も口にしている。このようにジェサップは、意識的にポスト・ニュー・ウィアード、ポスト・ニュー・スペースオペラを書きたい/読みたいと明言しているのだ。さらに作風としてはポスト・ニュー・ウェーブ。これはもう、どれだけ新しいものを書いてくれるかと期待せざるをえない。

  • 短所

 ところが上記のような意気ごみは残念ながら、著者にキャッチーさを放棄させてしまった。結果として“Open Your Eyes”はあまりに一般的なエンターテイメントからかけ離れて終わる。デウス・エクス・マキナというか、オープンエンドというか、なんとも強引な閉じ方である。ここまで題材を用意しておいて、神話的な存在の詩的な降臨をつかって物語を閉めるのはあんまりというものだろう。なにより救済を匂わせているのがいただけない。せっかくそれまでキャラクターを次々と無残に死なせていったのだから、ここはそれまで以上の一大カタストロフか、この上なく不気味な新生を描いてほしいところだった。同じ路線*6の小説を思い出してみると、ディレイニーはいわずもがな、アルフレッド・ベスター『ゴーレム100』と古橋秀之ブライトライツ・ホーリーランド』あたりは成功例だったと気づく。それにひきかえ、本書は着地で大失敗。途中の展開もかなり駆け足なので、読むのは楽だがいまいち満足できない。また、著者がもっとも気に入っているというイツァスが、へたにジャパニメーション的(攻殻エヴァ)を連想させ、いかにもゴス好みな造形なのも浮いている。

  • 長所

 遠未来なのに蝋、ハロゲンの光、大量のワイヤーなどのレトロな素材をあえて活躍させているところはいい。廃墟化した宇宙ステーションで、滅びゆく人工知能が壊れかけの人形を出迎えに寄こすシーンなんかは、廃墟・荒廃に魅力を感じる者にはたまらない。絵や動画にすれば映えるだろう。また、そもそも著者はこの物語を「アンチ・ロマンス小説」として構想し、ゆえに人工知能を含むすべてのキャラクターの独善的な愛によって、すべてが崩壊に陥っていくという筋立てなのである。確かに反ロマンス的ロマンス小説としては破綻がない。

  • まとめ

 ヒューゴー賞ネビュラ賞の長篇部門候補作を見ればわかるように、昨年の英米SF界は改変歴史ファンタジイに席巻されていた。今に始まったことではないが、圧され気味のSF界は、やや広義のハードSFを支えるコアなファンと、リアリティを度外視したミリタリーアクションシリーズに二極化している懸念がある。そんな状況下で、あえて「細かいことは気にしないSF」を書こうとしたジェサップの心意気だけは大いに買いたいところだ。が、作品の内容は正直、サンリオSF文庫がご存命でない限り本邦では出せないようなレベルである。しかし同時に、往時ならばどこかのSF雑誌か同人誌が漏らさずレビューしてくれただろうとは思うし、時にこういう本にも目を向けたいものだ(まとまらない独白:今のSFファン主流層は、ニューウェーブスリップストリームといったジャンルに興味がないのではないかという気がしなくもない。ラファティとかケリー・リンクは、SFファンが読むものから奇想海外文学ファンが読むものになっている?→ジャンル内で細分化が進むことへの不安というか……)

 版元ApexやFictionWiseなどで電子版を買えば400円程度なので、果敢に挑みたい人はどうぞ。先述のインタビュー記事(後者)でこまかく著者による解題がおこなわれているので、わからない点はそこで確認すれば大体解決するだろう。もっとも作品のことは作品内で十分に書いておいてくれとは思う。すべてを懇切丁寧に書く必要はないとはいえ、あまりにも諸々が足りない小説だった。なおジェサップの短篇は何本もネットで読める。すべて読んだわけではないが、おおむね鬱々とした幻想小説で、狭義のSFは今のところ本書以外に見つからない。

Open Your Eyes

Open Your Eyes

*1:すごい名前だ。

*2:とくに『ノヴァ』と『エンパイア・スター』からは多大な影響を受け、本書の宇宙言語ウィルスも『バベル17』へのオマージュである。

*3:インタビューに彼らへの言及はない。

*4:これも結局、定義がしっかり確立する前にうやむやになったムーヴメントだったような気もする。

*5:まあ、これもいまいち盛り上がらなかったような……。

*6:テーマ、モチーフも重複している。

追記(2010/12)

 『新潮』12月号で、都甲幸治氏が連載「生き延びるためのアメリカ文学」で「夢の本、夢の都市――ミハル・アイヴァス『もう一つの街』」と題して取り上げていた。(びっくりした。まさか米文学コーナーで本書の評を見ることになるとは) 3段×2ページのうち、1段半は最初のほうの章から引用を訳載するのにあてられていた。

追記(2013/2/11)

もうひとつの街

もうひとつの街

 河出書房新社から『もうひとつの街』として、まもなく丸々一冊邦訳が出るようだ。めでたや!

幻想特盛チェコ文学-The Other City (2009) by Michal Ajvaz

“The Other City” (Dalkey Archive Press, 2009) by Michal Ajvaz
 ウィリアム・L・クロフォード賞にノミネートされた、チェコ幻想小説の英訳である。ごく短い22の章から成る長篇だ。

 著者Ajvazは1949年、チェコプラハ生まれ。チェコ語チェコ文学を専攻し、現在はプラハ理論学センターの研究者として働いている。90年ごろから小説を発表し始め、小説のほかにデリダに関するエッセイやボルヘスに関する瞑想録などの著作もあるという。(本書の中にも魚と鏡、迷宮化する図書館などボルヘスを連想させる部分が散見される) 2005年に文学的功績を讃えられ、ヤロスラフ・サイフェルト賞を受賞。

 舞台は厳冬のプラハ。「私」は吹雪から逃れて入った古書店で、深紫の書籍を入手する。その本を綴る見知らぬ文字は、読んだ者を都市の裏にひそむ異界へ招くのだった。

 ※以降ネタバレしているので注意。
 筋はあるようで、無い。意図せずして異界へ足を踏み入れた「私」が、その謎を探るべく自らプラハと異境のはざまを出入りするようになり、ついにはそちら側へ行ってしまうまでの話だ。一応、ヒロインらしき女性がいる。こちらの世界では名をクララといい、レストランの看板娘だ。父親があちらの世界では大僧正であるため*1、アルウェイラという異界での名前を持ち、いずれは儀式を受けて女僧侶になるさだめを持つ。この少女がデレツンとでも言えばよいのか、思わせぶりに「私」を誘い出して危機に陥れたり、いい雰囲気になった直後に潜水スーツにシュノーケル姿で剣を振りかざし、敵としてジャングルの中で「私」を追いかけ回してくる。なお、彼女との関係の結末はまともに描かれずじまいだ。
 この1冊には、想像力の無駄づかいとしか言いようがないほど無数のアイディアが注ぎこまれている。時にチャーミングで、時にばかばかしく、時に恐ろしい幻想に溺れたいなら、ぜひ手にとってみてほしい。どこを切っても著者の妄想があふれだしてくるから。彫像と魚のモチーフがくりかえし立ち現れるのが、あたかも幻想が勝手に増殖しているようで素敵だった。この小説からむりに意味を読みとるのは、軟体動物をまさぐって骨を探すくらい無意味である。面白いのは細部のつくりであって、物語の構造を確固と組み立てることなど著者ははなから興味がないにちがいない。
 現実に存在する地名や建造物名がたびたび出てくるので、自分にプラハの知識がないのが残念だった。実物を見てみたいシーンが何箇所もある。森見登美彦の『太陽の塔』『四畳半神話大系』を読んだ当時、叡山電鉄の実物を目にしたことがなく、悔しい思いをしたことを思い出した。なじみのある日常風景に幻想がまじりこんでくる作品は大好きだ。

 さて、私が特に気に入っているのは以下の3エピソードである。
 6章:夜間講義
  家の中が勝手に戦場にされる話。(→参照
 7章:祝祭
  祭りらしきものを目撃する話。参加者は内部が水槽になった巨大なガラスの彫像をソリに載せ、引き回す。そしておもむろにガラスをハンマーでかち割る。雪上は、中から飛び出した海の生き物たちでいっぱいになる。逃げようとする魚たちを捕らえ、人々はなにかの儀式の列に並ぶ……。  
 ※このとき脱走したサメが、のちに執拗に異界の秘密をあばこうとする「私」にけしかけられる。塔の上でサメと格闘した「私」はなんとか相手のバランスを崩して塔から落とすことに成功し、落下したサメは教会のてっぺんの十字架に刺さって絶命する。この事件は異界の新聞や雑誌にも大きく取り上げられる。「塔でむごたらしくサメを殺した変質者はいまだ捕まっていません」などと。

 15章:ベッドシーツ
 「私」を追ってサーチライトとヘリコプターが迫りくる話。スピーカーは「神聖なるサメを殺した犯人、すみやかに投降し両手を上に上げるように」とがなりたてている。マンションへ逃げこんだ「私」は暗い中でベッドに乗り上げ、いくら這いずっても寝台の終わりがないことに気づく。ベッドカバーとフトンとマットレスからなる渓谷に迷いこんでしまったのだ。追っ手をまこうと布団世界の奥底へもぐっていく「私」。周囲からは眠っている人間のうなされる声や寝息が聞こえ、ときどきパジャマ姿でたむろする人々を見かける。寝ている人間を踏みつけることもあった。執拗に追跡してきたヘリコプターはしかし、ベッドカバーがからまって爆発四散する。


 このほか登場するものの一部: 叙事詩『壊れたさじ』を暗唱する、アヒルのくちばしを持つオウム。チャールズ橋*2銅像の台座に小さなドアがついていて、そこが開いて小さなヘラジカたちが出てくる。像は本当はとても脆いもので、ヘラジカが何らかの手段で維持している。ドライフルーツにつきまとわれる。牡蠣が徒党を組んで人を襲い、すすり殺す。くだらなくて笑ってしまうような奇想の連続がいとおしい。エンターテイメント的なファンタジーではなく、かたくるしく重厚な幻想文学でもない、奇妙で軽快な小説であった。

The Other City (Eastern European Literature)

The Other City (Eastern European Literature)

 英訳第2弾も絶対買おう。訳者は違う人なのか。
The Golden Age (Czech Literature Series)

The Golden Age (Czech Literature Series)

*1:こちらでは一介のウェイターである。

*2:実際にあるもので、いくつもの銅像が列をなしているらしい。

“Last Days”余談

 序文として解説を書いているのはピーター・ストラウブ。自身の小説創作講座の生徒に、好きな小説家を答えさせた時にジョージ・ソーンダーズ*1やケン・カルファス*2に混じってこの作家の名前が出てきたのが、イーヴンソン作品との出会いであるらしい。解説は精密な内容読解をふくむ親切設計。正直、最初は設定の把握にとまどうので解説にはかなり助けられた。

 ところでイーヴンソンは邦訳がある。野生時代』55号に掲載された、ブライアン・イーヴンソン「父、まばたきもせず」(訳・岸本佐知子)がそれである。この号の特集が『30代女子のための「エロ」』だったばかりにドン引きして読まなかった、08年の自分を責めたい。残りの《居心地の悪い部屋》シリーズは概ね読んでいるだけに後悔もひとしお。
 追記→『モンキービジネス』Vol.6箱号に「見えない箱」が掲載(訳・柴田元幸)ブライアン・エヴンソン名義。さらに追記→『PAPER SKY』にも柴田訳の掲載あり。

 イーヴンソンは現在、ブラウン大学の創作講座や雑誌Conjuctionsの編集に携わっているらしい。著作の内容のせいでかつて所属していたモルモン教会から放逐されたり、映画『エイリアン』のスピンオフ小説やゲーム『Halo』の世界観を利用したアンソロジーに参加していたりとなかなか興味深い経歴の持ち主だ。フランス語小説の翻訳もやっていて、それがまたピンチョンやダニエレブスキーの仏語訳をした人が書いた中篇小説だったりするのでまったく油断がならない。

*1:去年、もっと早く手を出していればよかったと悔いた作家。

*2:柴田元幸訳「見えないショッピングモール」